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野口正義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野口 正義
のぐち まさよし
生誕 1887年5月17日
日本の旗 日本茨城県
死没 (1968-04-08) 1968年4月8日(80歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1908 - 1942
最終階級 陸軍中将
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野口 正義(のぐち まさよし、1887年明治20年)5月17日[1] - 1968年昭和43年)4月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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茨城県出身。1908年(明治41年)5月27日に陸軍士官学校(20期)を卒業し、同年12月25日に工兵少尉に任ぜられ、工兵第七大隊付となる[2]1911年(明治44年)12月26日に工兵中尉に昇進[3]し、1912年(明治44年)11月27日に陸軍砲工学校(18期)高等科を卒業[4]。更に員外学生として在学し、1916年(大正5年)7月10日には東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業した[5]

1918年(大正7年)7月29日に工兵大尉に昇進[6]陸軍技術審査部付となる。その後、長らく陸軍技術本部部員に在籍し、在任中の1924年(大正13年)3月15日工兵少佐に[7]1928年(昭和3年)3月24日工兵中佐に[8]1932年(昭和7年)8月8日に工兵大佐に昇進[9]

その後、陸地測量部三角科長、鉄道第一連隊長等を経て、陸軍砲工学校工兵科長在任時の1937年(昭和12年)3月1日に陸軍少将に昇進[10]。同年11月1日に陸地測量部長に就任し、陸軍築城部本部長在任時の1939年(昭和14年)8月1日、陸軍中将に昇進[11]1942年(昭和17年)8月1日待命となり、同月12日予備役に編入された。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[12]

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ a b 『日本陸軍将官辞典』563頁。
  2. ^ 『官報』第7652号、明治41年12月26日。
  3. ^ 『官報』第8557号、明治44年12月27日。
  4. ^ 『官報』第101号、大正元年11月30日。
  5. ^ 『官報』第1184号、大正5年7月12日。
  6. ^ 『官報』第1798号、大正7年7月31日。
  7. ^ 『官報』第3467号、大正13年3月17日。
  8. ^ 『官報』第370号、昭和3年3月26日。
  9. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
  10. ^ 『官報』第3046号、昭和12年3月2日。
  11. ^ 『官報』第3772号、昭和14年8月2日。
  12. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
  13. ^ 『官報』第7701号、明治42年3月2日。
  14. ^ 『官報』第8608号、明治45年3月2日。
  15. ^ 『官報』第1389号「叙任及辞令」、大正6年3月22日。
  16. ^ 『官報』第2913号「叙任及辞令」、大正11年4月21日。
  17. ^ 『官報』第151号「叙任及辞令」、昭和2年7月1日。
  18. ^ 『官報』第1647号「叙任及辞令」、昭和7年6月28日。
  19. ^ 『官報』第3101号「叙任及辞令」、昭和12年5月8日。
  20. ^ 同日達、官報不登載;「叙位裁可書・昭和十五年・叙位巻三十一(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A11114902300 
  21. ^ 『官報』第2400号、大正9年8月2日。
  22. ^ 『官報』第2681号、大正10年7月8日。
  23. ^ 『官報』第420号、昭和3年5月24日。
  24. ^ 『官報』第2822号附録、昭和11年6月1日。
  25. ^ 『官報』第2603号附録、昭和10年9月4日。
  26. ^ 『官報』第4438号付録、昭和16年10月23日。
  27. ^ 『官報』第4108号、昭和15年9月13日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
軍職
先代
桑原四郎
陸地測量部
第14代:1937年11月1日 - 1939年3月9日
次代
中島三栖雄