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松井源之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松井 源之助(まつい げんのすけ、1889年明治22年)10月25日[1][2] - 1950年昭和25年)6月19日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・亀井[1][2]。千葉市長を務めた松井旭は子。

経歴

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奈良県出身[1][2][3]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第70連隊付となる[1][4]。留守歩兵第30連隊付などを経て、1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を卒業した[1][2][3]

1921年12月、歩兵第30連隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)を務め、1926年(大正15年)3月、歩兵少佐に昇進[1]。同年12月、歩兵第27連隊付となる[1]。同連隊大隊長を経て、1929年(昭和4年)8月から1931年(昭和6年)8月まで通化に駐在した[1]。この間、1930年(昭和5年)8月、歩兵中佐に進級[1]。1931年8月、歩兵第26連隊付となり、関東軍司令部付(錦州特務機関)、支那駐屯軍司令部付(張家口特務機関長)を務め、1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1935年9月、関東軍司令部付を兼務し、同年12月、第5師団司令部付(広島文理大学配属)となり帰国[1][3]。1937年(昭和12年)3月、函館連隊区司令官に転じ、1938年(昭和13年)3月、留守第7師団司令部付となる[1][2][3]。同年7月、陸軍少将に進級と同時に待命となり、同月、予備役に編入された[2][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本陸海軍総合事典』第2版、147頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』671頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』283頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、283頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  6. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。※亀井源之助
  7. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  8. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  9. ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。