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松山祐三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松山 祐三
渾名 「悪漢」[1]
生誕 1889年2月1日
大日本帝国の旗 大日本帝国 青森県
死没 (1947-01-11) 1947年1月11日(57歳没)
日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910 - 1945
最終階級 陸軍中将
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松山 祐三(まつやま ゆうぞう、1889年2月1日 - 1947年1月11日)は、日本陸軍軍人陸士22期。最終階級は陸軍中将

経歴

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青森県出身。地主・松山久兵衛の七男として生まれる。東北中学校、仙台陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官、歩兵第67連隊付となる。

青島守備独立歩兵第4大隊附、中央幼年学校生徒隊附、歩兵第67連隊中隊長、歩兵第29旅団副官、陸士生徒隊中隊長、歩兵第44連隊附、陸士生徒隊附、歩兵第31連隊附、第8師団副官仙台陸軍教導学校学生隊長、独立守備歩兵第19大隊長、第2国境守備隊長などを歴任し、1939年8月、陸軍少将に進級。

第27歩兵団長を経て太平洋戦争を第64独立歩兵団長として迎えた。1942年12月、陸軍中将となり第56師団長に親補され、ビルマ戦線で苦戦を強いられた。終戦タイにおいて迎え、1946年6月に復員した。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]

年譜

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  • 1910年(明治43年)12月26日 - 任少尉歩兵第67連隊
  • 1924年(大正13年) - 陸士本科第2中隊長
  • 1927年(昭和2年)5月24日 - 中佐
  • 1932年(昭和7年)8月8日 - 大佐
  • 1935年(昭和10年)8月1日 - 仙台陸軍教導学校学生隊長
  • 1939年(昭和14年)8月 - 少将
  • 1942年(昭和17年)12月 - 中将

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ 佐々木二郎「一革新将校の半生と磯辺浅一」芙蓉書房、1981年 p42
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  3. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  4. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  5. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  6. ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。
  7. ^ 『官報』第2130号「叙任及辞令」1934年02月09日。
  8. ^ 『官報』第4008号、昭和15年5月20日

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。