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馬場保雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬場 保雄
ばば やすお
生誕 (1888-07-21) 1888年7月21日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1981-01-21) 1981年1月21日(92歳没)
日本の旗 日本 東京都杉並区南荻窪
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1908年 - 1940年
最終階級 中将
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馬場 保雄(ばば やすお、1888年明治21年)7月1日[1] - 1981年昭和56年)1月21日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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東京府出身[1][3]1908年明治41年)5月、陸軍士官学校(20期)を卒業し[1]、同年12月、砲兵少尉に任官した[4]。1920年(大正9年)11月、陸軍大学校(32期)を卒業した[1][3][5]

1924年(大正13年)3月、砲兵少佐に進級[6]。1928年(昭和3年)8月、砲兵中佐に進み[6]、1930年(昭和5年)8月、野戦重砲兵第1連隊付となる[6]。1932年(昭和7年)4月、高射砲第1連隊長に就任し、同年8月、砲兵大佐に昇進した[3]。1935年(昭和10年)8月、陸軍工科学校教授部長に転じた[3]。1936年(昭和11年)3月、陸軍砲工学校砲兵科長に就任し、1937年(昭和12年)3月、陸軍少将に進級した[3]

1938年(昭和13年)12月、中支那派遣軍兵器部長に発令され日中戦争に出征[1][3]。1939年(昭和14年)8月、陸軍中将に進み陸軍砲工学校長に発令されて帰国[1][3]。1940年(昭和15年)8月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][3]

1981年1月、狭心症により杉並区南荻窪の自宅で死去した[2]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』585-586頁。
  2. ^ a b 『現代物故者事典 1980〜1982』259頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』254頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』251、254頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、570頁。
  6. ^ a b c 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調』768頁。
  7. ^ 『官報』第3101号「叙任及辞令」1937年5月8日。
  8. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調』偕行社、1931年。