間崎信夫
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間崎 信夫 | |
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生誕 |
1886年10月4日 日本 高知県 |
死没 | 1966年12月9日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
間崎 信夫(まざき しのぶ[1]、1886年(明治19年)10月4日[2] - 1966年(昭和41年)12月9日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]高知県出身[2]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第33期卒業[2]。1924年(大正13年)8月、陸軍歩兵少佐に進級し[3]、陸軍歩兵学校教官兼同校研究部部員に就任した[3]。1926年(大正15年)8月に第6師団参謀に転じ[4]、1927年(昭和2年)7月に歩兵第77連隊大隊長を経て[5]、1928年(昭和3年)8月に陸軍歩兵中佐進級と同時に歩兵第77連隊附となった[6]。
1930年(昭和5年)8月に第6師団参謀に転じ[1]、1932年(昭和7年)8月15日に姫路連隊区司令官に着任し[7]、12月7日に陸軍歩兵大佐に進級した[7]。1934年(昭和9年)3月には歩兵第46連隊長(第12師団・歩兵第24旅団[8][9])に転補され[7]、1935年(昭和10年)3月に第6師団参謀長[7]、1936年(昭和11年)3月に基隆要塞司令官と歴任した[7]。1937年(昭和12年)8月2日、陸軍少将進級と同時に歩兵第4旅団長(第3軍・第8師団[10][11])に着任し[2][7]、満洲に位置した[10]。1939年(昭和14年)8月1日に待命となり[2]、8月31日に予備役に編入された[12]。
脚注
[編集]- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和5年9月1日調144頁
- ^ a b c d e f 福川 2001, 667頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調229頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調212頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調205頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調153頁
- ^ a b c d e f 外山 1981, 257頁.
- ^ 外山・森松 1987, 394頁.
- ^ 外山・森松 1987, 395頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 446頁.
- ^ 外山・森松 1987, 447頁.
- ^ 『官報』第3799号「叙任及辞令」1939年9月2日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。