税所篤文
表示
税所 篤文(さいしょ あつふみ、1855年8月13日〈安政2年7月〉 – 1910年〈明治43年〉2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[1]、鹿児島県出身[1]
人物
[編集]薩摩藩士の税所六郎兵衛篤志の子として生まれる。
陸軍士官学校旧2期卒。1886年(明治19年)、陸軍砲兵大尉に任官し、砲兵第5連隊第1大隊中隊長を拝命する。1895年(明治28年)、陸軍砲兵中佐に任官すると、軍務局砲兵課長、軍務局兵器課長を歴任する。1902年(明治35年)、陸軍少将に任官と同時に呉要塞司令官に補され、翌年同要塞が広島湾要塞に改称されると再度司令官に任用された。1906年(明治39年)8月、旅順陣歿露兵遺骸合理委員会が設置されると委員長に選任される。その翌年には旅順要塞初代司令官伊地知幸介の後任として第2代司令官に任じられるが、約3年後の1910年(明治43年)2月26日、腎臓炎と盲腸周囲炎の合併症により[2]現職のまま卒去した。同日付で正四位を追叙された。墓所は青山霊園。
官歴
[編集]- 1879年(明治12年)2月1日 - 陸軍士官学校(旧2期)卒業[1]、任 陸軍砲兵少尉
- 1886年(明治19年)
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)9月16日 - 任 陸軍砲兵少佐。[7]
- 1891年(明治24年)8月24日 - 御用有之北海道並仙台及青森へ主張ヲ命ズ。[8]
- 1891年(明治24年)9月16日 - 任 陸軍砲兵少佐。[7]
- 1892年(明治25年)
- 1894年(明治27年)9月26日 - 参謀本部御用掛兼勤ヲ命ズ。[11]
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)10月29日 - 補 軍務局砲兵課長。[13]
- 1897年(明治30年)
- 1900年(明治33年)4月25日 - 兼 兵器監部員[1]
- 1902年(明治35年)5月5日 - 任 陸軍少将、補 呉要塞司令官。[1][16]
- 1903年(明治36年)5月1日 - 広島湾要塞司令官[1]
- 1904年(明治37年)3月10日 - 第二軍砲兵部長[1]
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)4月1日 - 補 旅順要塞司令官[1][18]
- 1909年(明治42年)8月1日 - 任 陸軍中将[1]
- 1910年(明治43年)2月26日 - 卒去。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1885年(明治18年)11月27日 - 正七位[19]
- 1891年(明治24年)12月28日 - 従六位[20]
- 1895年(明治28年)11月15日 - 正六位[21]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従五位[22]
- 1902年(明治35年)9月20日 - 正五位[23]
- 1907年(明治40年)10月11日 - 従四位[24]
- 1910年(明治43年)2月26日 - 正四位[25]
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[26]
- 1892年(明治25年)5月28日 - 勲六等瑞宝章[27]
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)11月25日 - 勲五等瑞宝章[30]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章・功三級金鵄勲章
- 外国勲章佩用允許
- 1901年(明治34年)10月4日 - プロイセン王国:赤鷲第二等勲章[31]
- 1902年(明治35年)9月6日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章オフィシェ[32]
- 1908年(明治41年)8月17日 - ロシア帝国:神聖スタニスラス第一等勲章[33]
親族
[編集]- 娘婿:山本貞房(砲兵大尉)[2]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸軍将官総覧』102頁
- ^ a b 大植 1935, 1152頁.
- ^ 『官報』第883号「叙任及辞令」1886年6月12日。
- ^ 『官報』第879号「叙任及辞令」1886年6月8日。
- ^ 『官報』第1964号「叙任及辞令」1890年1月18日。
- ^ 『官報』第2021号「叙任及辞令」1890年3月29日。
- ^ a b 『官報』第2468号「叙任及辞令」1891年9月18日。
- ^ 『官報』第2448号「叙任及辞令」1891年8月26日。
- ^ 『官報』第2711号「叙任及辞令」1892年7月12日。
- ^ 『官報』第2843号「叙任及辞令」1892年12月17日。
- ^ 『官報』第3378号「叙任及辞令」1894年9月29日。
- ^ 『官報』第3584号「叙任及辞令」1895年6月12日。
- ^ 『官報』第4003号「叙任及辞令」1896年10月30日。
- ^ 『官報』第4264号「叙任及辞令」1897年9月16日。
- ^ 『官報』第4285号「叙任及辞令」1897年10月12日。
- ^ 『官報』第5648号「叙任及辞令」1902年5月6日。
- ^ 外交史料Q&A : 外交史料館に聞いてみよう. 平成18年 (12月)
- ^ 『官報』第7124号「叙任及辞令」1907年4月2日。
- ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
- ^ 『官報』第7288号「叙任及辞令」1907年10月12日。
- ^ 『官報』第5002号「叙任及辞令」1910年2月28日。
- ^ 『官報』第1948号「叙任及辞令」1889年12月24日。
- ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
- ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
- ^ 『官報』第3858号・付録「辞令」1896年5月12日。
- ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
- ^ 『官報』第5488号「叙任及辞令」1901年10月16日。
- ^ 『官報』第5778号「叙任及辞令」1902年10月6日。
- ^ 『官報』第7567号「叙任及辞令」1908年9月14日。
参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 『官報』
- 『日本陸軍将官総覧』新人物往来社