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矢野機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

矢野 機(やの はかる、1887年明治20年)3月27日[1][2] - 1992年平成4年)2月10日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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東京府出身[2][3]。本籍は千葉県[1]。矢野正躬(陸軍主計監)の長男として生れる[1]成城中学校東京陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1905年11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業[1][4]。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第12連隊付となる[1][4]1913年11月、陸軍大学校(第25期)を卒業した[1][3]

教育総監部付、歩兵第12連隊中隊長第8師団参謀、教育総監部課員、スイス駐在、チェコスロバキア駐在、教育総監部課員などを経て、1925年8月、東宮武官侍従武官となった[1]。さらに、侍従武官、教育総監部庶務課長、歩兵第6連隊長、陸軍歩兵学校教導連隊長、朝鮮軍参謀などを歴任し、1934年3月、陸軍少将に進級[1][3]

満州事変後に歩兵第8旅団長として満州に出征[1][2][3]。関東憲兵隊司令部付などを経て、二・二六事件当時は憲兵司令部総務部長の職に在り、治安の維持回復に尽力した[1][2][3]第3師団司令部付となり、1937年3月、予備役に編入されたが、翌年7月に召集を受け、歩兵第25旅団長を勤めた[1][2]1940年2月、召集解除となり、同年8月、陸軍中将となった[1][3]

1942年4月、大日本翼賛壮年団千葉団長となり、1943年8月、歩兵学校嘱託。1944年10月、再度召集を受け、歩兵学校校長に就任[1]。留守業務部長を経て、1945年12月、召集解除となった[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、160-161頁。
  2. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』746頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』233頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』225、233頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。