渡辺岩之助
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渡辺 岩之助(わたなべ いわのすけ、1867年(慶応3年12月) - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]山口県出身。陸軍士官学校(旧10期)に入り、1888年(明治21年)7月28日、砲兵少尉任官。1892年(明治25年)11月、陸軍砲工学校高等科(1期)を優等で卒業。フランス駐在を経験。日露戦争に第1軍管理部長として出征。
1907年(明治40年)1月、陸軍大臣秘書官に就任し寺内正毅大臣に仕える。1908年(明治41年)12月、砲兵大佐に昇進し重砲兵第1連隊長となる。1914年(大正3年)5月、陸軍少将に進級し広島湾要塞司令官に就任。同年8月、臨時攻城砲司令官に発令され、青島の戦いに出征。1915年(大正4年)5月、重砲兵第1旅団長となり、1916年(大正5年)8月、陸軍重砲兵射撃学校長に異動。
1918年(大正7年)7月、陸軍中将に進み由良要塞司令官に着任。1918年(大正7年)11月、重砲兵監に移り、1919年(大正8年)4月、重砲兵監と野砲兵監を統合し新設された砲兵監に就任。1922年(大正11年)8月に待命となり、1923年(大正12年)3月、予備役に編入された。
栄典
[編集]- 1915年(大正4年)11月7日 - 功三級金鵄勲章・勲二等旭日重光章・大正三四年従軍記章[1]
- 1919年(大正8年)12月15日 - 戦捷記章[2]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 大正三年乃至九年戦役従軍記章[3]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。