西大條胖
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西大條 胖 | |
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生誕 |
1893年9月12日 日本 宮城県 |
死没 | 1958年4月22日(64歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
西大條 胖(西大条 胖、にしおおえだ ゆたか、1893年(明治26年)9月12日 - 1958年(昭和33年)4月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]。
経歴・人物
[編集]宮城県出身[1][2]。1915年(大正4年)陸軍士官学校第27期卒業[1][2]。1923年(大正12年)陸軍大学校第35期卒業[1][2]。
1935年(昭和10年)12月に陸軍省整備局整備課高級課員に任官[2]。
支那事変が勃発すると、 1938年(昭和13年)3月に陸軍歩兵大佐・歩兵第40連隊長(第2軍、第10師団、第8旅団)として出動し、徐州作戦や武漢作戦などに参戦[1][2]。翌年の1939年(昭和14年)3月に近衛師団参謀長、1941年(昭和16年)5月に商工省物資調整官を経て、同年8月に陸軍少将に進級した[1][2]。
その後、同年12月に阿爾山駐屯隊長(関東軍、第2方面軍)となり大東亜戦争に出征し、アルシャンに駐屯した[1][2]。
ついで1942年(昭和17年)10月に第25軍参謀長に転じ、翌年の1943年(昭和18年)4月に第25軍軍政監を兼職し、スマトラの安定に尽力[1][2]。
さらに1944年(昭和19年)10月14日に南方軍総参謀副長兼軍政総監部総務部長を経て、同月26日に陸軍中将に進級した[1][2]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。