コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

飯山茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯山 茂
生誕 1923年10月11日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (2004-11-12) 2004年11月12日(81歳没)
日本の旗 日本 神奈川県
所属組織 大日本帝国陸軍
警察予備隊
保安隊
陸上自衛隊
軍歴 1944 - 1945(日本陸軍)
1951 - 1952(予備隊)
1952 - 1954(保安隊)
1954 - 1980(陸自)
最終階級 陸軍中尉(日本陸軍)
陸将(陸自)
テンプレートを表示

飯山 茂(いいやま しげる、1923年大正12年)10月11日 - 2004年平成16年)11月12日)は、日本の元陸軍軍人及び陸上自衛官。第15代東部方面総監

人物

[編集]

鹿児島県出身[1]情報畑の人物であり、在ソ連日本国大使館モスクワ)付防衛駐在官時には喫茶店の窓から列車の動きを監視し、ただならぬ荷物(戦車であった)を載せた列車が走っていくのを見てソ連のチェコ侵攻を予測し、いち早く日本に打電したという逸話が残っている。

宮永スパイ事件の責任を取って辞職した永野茂門陸上幕僚長の後任には、東部方面総監であった飯山茂も候補の一人であったといわれるが、飯山の陸幕2部長時代の部下が宮永に機密を漏洩した人物であったことから陸幕長への道を閉ざされ、永野の辞任後の7月に退官した。

経歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b “飯山茂氏死去 元陸上自衛隊東部方面総監”. 47NEWS. (2004年11月13日). http://www.47news.jp/CN/200411/CN2004111301003573.html 2014年11月24日閲覧。 
  2. ^ 『官報』昭和45年1月6日(本紙 第12913号)人事異動
  3. ^ 『官報』昭和46年3月17日(本紙 第13269号)人事異動
  4. ^ 『官報』昭和48年3月19日(本紙 第13868号)人事異動
  5. ^ 『官報』昭和49年7月2日(本紙 第14251号)人事異動
  6. ^ 『官報』昭和51年7月2日(本紙 第14845号)人事異動
  7. ^ 『官報』昭和53年7月29日(本紙 第15462号)人事異動
  8. ^ 『官報』昭和55年7月3日(本紙 第16034号)人事異動
  9. ^ 『官報』平成5年11月4日(号外 第189号)叙位・叙勲
  10. ^ 『官報』平成16年12月17日(本紙 第3998号)叙位・叙勲

参考文献

[編集]
  • 山崎正男 編集責任、保存版『陸軍士官学校』 秋元書房、昭和44年
  • 松村劭 「オペレーショナル・インテリジェンス 意思決定のための作戦情報理論」 日本経済新聞社

関連項目

[編集]
先代
永野茂門
東部方面総監
第15代:1978年 - 1980年
次代
荒木一