コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

本多政材

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本多 政材
終戦後、捕虜として収監されていた頃の本多(右)
生誕 1889年5月17日
大日本帝国の旗 大日本帝国,長野県
死没 (1964-07-17) 1964年7月17日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910 - 1945
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

本多 政材(ほんだ まさき、1889年(明治22年)5月17日 - 1964年(昭和39年)7月17日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

陸士22期陸大29期長野県出身。父は公務員であったが、祖父より前は信濃国飯山藩本多家の一門で、家老職を務めた家柄であった。

略歴

[編集]

私生活・逸話

[編集]
  • 妻との間に一男二女があった。
  • 学者肌の人物で、陸軍内の派閥に属することはなく、軍内の派閥争いには無縁であった。
  • 酒と釣りを愛し、75歳で病死するまで、終生酒を手放すことが無かった。釣りも好きで戦地でも同輩の笠原幸雄等を誘って釣りに出ていた。
  • 部下も辟易するほど猥談好きで、愛妻家である阿南惟幾に「一穴居士」というあだ名を付けたのも本多であった。

栄典

[編集]
位階
勲章

脚注

[編集]
  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、210頁。NDLJP:1276156 
  2. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  3. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  4. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  5. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  6. ^ 『官報』第3208号「叙任及辞令」1937年9月10日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  8. ^ 『官報』第3990号、昭和15年4月27日

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。