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松浦靖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明仁親王誕生時に行われた読書鳴弦の儀奉仕員(左より市村瓚次郎有馬良橘大給近孝辻善之助松浦靖細川立興

松浦 靖(まつら はかる、1866年5月10日慶応2年3月26日[1][2][3])- 1943年昭和18年)1月29日[1])は、明治から昭和前期の陸軍軍人華族。陸軍歩兵中佐子爵位階および勲等正二位勲二等

経歴

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平戸藩主・松浦詮の二男として生まれる[1][2][3]。1890年(明治23年)11月、旧平戸新田藩主・松浦家当主、松浦美起子の入夫となり[3]、同年12月1日、家督を相続し[2][3][4]、同月26日、子爵を叙爵した[1][2][3][5]

1884年(明治17年)6月、陸軍予科士官生徒となり[2]、1885年(明治18年)8月、陸軍士官学校に入学[2](旧11期[6])。1889年(明治22年)7月26日、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第3連隊付となる[2][7]日清戦争第1師団に属して出征[2]。1898年(明治31年)10月、歩兵大尉となり歩兵第38連隊中隊長に就任[2]日露戦争に出征し、1904年(明治37年)10月、歩兵少佐に進んだ[2]。1905年(明治38年)近衛歩兵第1連隊第1大隊長に就任[2]。1911年(明治44年)9月20日、歩兵中佐に昇進し、侍従に任じられた[1][2][8]。その後、宮内省御用掛を務めた[9]

昭和18年1月29日薨去享年78。墓所は松浦家菩提寺である本所天祥寺戒名は乾徳院殿箕山清秀大居士

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』656-657頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『華族畫報 下』604頁。
  3. ^ a b c d e 『大日本華族大鑑』175頁。
  4. ^ 『官報』第2229号、明治23年12月2日。
  5. ^ 『官報』第2251号、明治23年12月27日。
  6. ^ 『陸軍士官学校』230頁。
  7. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』87頁。
  8. ^ 『官報』第8477号、明44年9月21日。
  9. ^ 『人事興信録 第8版』マ66頁。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
松浦子爵家初代
1890年 - 1943年
次代
松浦治