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阿部平輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部 平輔
生誕 1886年12月18日
宮城県
死没 (1943-06-11) 1943年6月11日(56歳没)
オーストラリアの旗 オーストラリア ニューギニア島
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909 - 1943
最終階級 陸軍中将
墓所 多磨霊園
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阿部 平輔(あべ へいすけ、1886年明治19年)12月18日[1] - 1943年昭和18年)6月11日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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宮城県出身[1]1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業[1][2]。同年12月、歩兵少尉に任官[2]

1934年(昭和9年)3月、熊本陸軍教導学校学生隊長に就任[3]1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進[3]1936年(昭和11年)12月、関東軍下士官候補生隊長[3]1938年(昭和13年)2月、関東軍附となり、同年3月、第8国境守備隊第2地区隊長に転ずる[3]。同年12月、陸軍少将に進級[3]。同月、第8国境守備隊長に就任[1][3]ノモンハン事件に参戦[1]1940年(昭和15年)8月、内地に帰還し盛岡陸軍予備士官学校長となる[1][3]1941年(昭和16年)7月、留守第20師団長に転じ朝鮮に赴任[1][3]。同年8月、陸軍中将に昇進し太平洋戦争を迎えた[1][3]

1942年(昭和17年)7月、第41師団長に親補され華北に赴任したが[1][3]、同年11月、師団はニューギニアに転用され、ニューギニアの戦いに参戦。苦戦を続ける中で、1943年6月にウェワク戦病死した。

栄典

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位階
勲章

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本陸軍将官辞典』33-34頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』259、265頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』265頁。
  4. ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
  5. ^ 『官報』第216号「叙任及辞令」1913年4月22日。
  6. ^ 『官報』第1738号「叙任及辞令」1918年5月21日。
  7. ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
  8. ^ 『官報』第535号「叙任及辞令」1928年10月5日。
  9. ^ 『官報』第4108号「叙任及辞令」1940年9月13日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。