上村利道
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上村 利道 | |
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生誕 |
1889年2月10日 日本 熊本県 |
死没 | 1947年9月19日(58歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910 - 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
上村 利道(うえむら としみち、1889年(明治22年)2月10日[1][2] - 1947年(昭和22年)9月19日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]熊本県出身[1][2][3]。中学済々黌中退、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第48連隊付となる[1][4]。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した[1][2][3]。
歩兵第48連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、歩兵第13連隊大隊長、第9師団参謀、臨時上海派遣軍参謀、台湾軍参謀などを歴任し、1934年(昭和9年)8月、陸軍大佐に昇進し歩兵第24連隊長となった[1][3]。
1936年(昭和11年)8月、参謀本部庶務課長となり、日中戦争に上海派遣軍参謀副長として出征[1][2][3]。参謀本部付を経て、1938年(昭和13年)3月、陸軍少将に進級し東京陸軍幼年学校長に就任[1][2][3]。第3軍参謀長を経て、1940年(昭和15年)12月、陸軍中将に進んだ[1][2][3]。1941年(昭和16年)4月、第29師団長に親補され満州に駐屯し太平洋戦争を迎えた[1][2][3]。
1943年(昭和18年)10月、第5軍司令官に就任し引き続き満州の防衛に当たった[1][2][3]。参謀本部付を経て、第36軍司令官として浦和にあって本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1][2][3]。1945年(昭和20年)11月に復員[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[5]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[6]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[7]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[8]
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[9]
- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本陸海軍総合事典』第2版、26頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』119頁。
- ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』276頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、276頁。
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
- ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
- ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
- ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 「根本博外四名外国勲章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113538400