稲垣三郎 (陸軍軍人)
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稲垣 三郎 いながき さぶろう | |
---|---|
少将時代 | |
生誕 |
1870年6月4日 大日本帝国、島根県 |
死没 | 1953年4月28日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1886 - 1923 |
最終階級 | 中将 |
除隊後 |
日本体操学校長 閑院宮別当 |
稲垣 三郎(いながき さぶろう、明治3年5月6日[1][2](1870年6月4日)- 1953年(昭和28年)4月28日[1][2])は、日本の陸軍軍人。陸士2期[1][2][3]、陸大13期(優等)[2][3]。最終階級は陸軍中将。
栄典は従四位勲一等功二級[4]、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)、バス勲章コンパニオン(CB)。
経歴
[編集]島根県出身[1]。稲垣了斎の長男として生まれる[1]。陸士卒業後、秋山好古率いる騎兵第1大隊の配属となり、日清戦争に従軍。1899年(明治32年)、陸軍大学校を優等で卒業し、以降参謀への道へと進んだ。1904年、日露戦争に満州軍参謀として従軍。これに前後してイギリス駐在も数回にわたり務めた[1]。
1918年(大正7年)、浦塩派遣軍参謀としてシベリア出兵に出征[1][2]。現役を退いた後、日本体育会体操学校(現日本体育大学)校長、閑院宮別当を務めた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
家族
[編集]- 妻 落合豊三郎中将の娘
軍歴
[編集]※『日本陸海軍総合事典』第2版、21頁による。
- 1886年(明治19年)8月- 陸軍幼年学校入学
- 1891年(明治24年)7月- 陸軍士官学校卒業(2期)
- 1892年(明治25年)3月21日- 騎兵少尉・騎兵第1大隊付、大隊副官心得[6]
- 1894年(明治27年)10月7日- 騎兵中尉
- 1897年(明治30年)10月25日- 騎兵大尉
- 1899年(明治32年)12月- 陸軍大学校卒業(13期、恩賜)・騎兵第1大隊中隊長
- 1900年(明治33年)3月- 参謀本部出仕
- 12月- 参謀本部員
- 1901年(明治34年)3月- 兼閑院宮載仁親王附武官
- 1902年(明治35年)3月- イギリス駐在
- 12月19日- 騎兵少佐
- 1904年(明治37年)4月- 参謀本部付(兼載仁親王付)
- 1905年(明治38年)4月19日 - 騎兵中佐
- 1906年(明治39年)2月 - インド駐剳武官
- 1909年(明治42年)4月 - 騎兵第1連隊長
- 1910年(明治43年)12月23日 - 騎兵大佐・イギリス大使館付
- 1916年(大正5年)4月1日 - 陸軍少将
- 1917年(大正6年)1月 - 参謀本部付
- 8月6日 - 騎兵第1旅団長
- 1918年(大正7年)8月 - 浦塩派遣軍参謀(第1課長)
- 1919年(大正8年)
- 6月 - 浦塩派遣軍参謀長
- 7月25日 - 陸軍中将
- 1920年(大正9年)7月 - 参謀本部付
- 9月 - 国際連盟陸軍代表
- 1923年(大正12年)4月 - 参謀本部付
- 8月 - 待命
- 9月1日 - 予備役
- 1924年(大正13年)4月 - 日本体操学校長(- 1939年10月)
- 1928年(昭和3年)7月 - 閑院宮別当(- 1945年7月)
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 後備役
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[9]
- 1918年(大正7年)6月29日 - 勲二等瑞宝章[10]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲一等旭日大綬章・ 功二級金鵄勲章・大正三年乃至九年戦役従軍記章[11]
- 明治三十七八年従軍記章
- 大礼記念章(大正)
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[12]
- 外国勲章佩用允許
- 1927年(昭和2年)2月1日 - ポーランド・ ポーランド復興星附コマンドルスキ十字勲章[13]
- 1930年(昭和15年)7月24日 - 一九一六年乃至一九一八年戦役記念十字章(ro)[4]
- 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章グランデ・ウッフィチャーレ
- 1等聖サヴァ勲章(en)
- 3等文虎勲章
- バス勲章コンパニオン
- 聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー
- 2等クロア・ド・ゲール勲章(en)
- 戦功十字章(en)
登場作品
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『日本陸海軍総合事典』第2版、21頁。
- ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』90-91頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』97頁。
- ^ a b 『官報』1930年7月28日 敍任及辭令
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」36頁。
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治27年7月1日調 226ページに記載あり。
- ^ 『官報』第2707号「叙任及辞令」1892年7月7日。
- ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。
- ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
- ^ 『官報』第1773号「叙任及辞令」1918年7月1日。
- ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第29号「叙任及辞令」1927年2月3日。
- ^ 大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典・坂の上の雲
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(大正9年9月1日調) 19コマに記載。
- 『陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿』(昭和3年4月1日調) 12コマに記載。
- 『陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿』(昭和9年4月1日調) 8コマに記載。
軍職 | ||
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先代 永沼秀文 |
騎兵第1旅団長 第6代:1917年8月6日 - 1918年8月19日 |
次代 田村守衛 |
先代 由比光衛 |
浦塩派遣軍参謀長 第2代:1919年6月28日 - 1920年7月16日 |
次代 高柳保太郎 |