西藤金作
表示
西藤 金作 | |
---|---|
生誕 |
1889年9月14日 日本 神奈川県 |
死没 | 1976年7月14日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
西藤 金作(にしふじ きんさく、1889年(明治22年)9月14日[1] - 1976年(昭和51年)7月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]神奈川県出身[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1920年(大正9年)9月、陸軍輜重兵大尉に進級し[2]、陸軍自動車学校副官を経て[2]、1926年(大正15年)8月に朝鮮軍司令部附となった[3]。1927年(昭和2年)12月、陸軍輜重兵少佐進級と同時に輜重兵第6大隊附となり[4]、1929年(昭和4年)8月に陸軍士官学校附兼陸軍将校生徒試験常置委員に転じ[5][6]、1933年(昭和8年)8月に陸軍輜重兵中佐進級と同時に輜重兵第1大隊附となり[7]、1936年(昭和11年)12月に輜重兵第8連隊長(関東軍・第3軍・第8師団[8][9][10])に就任した[11]。1938年(昭和13年)3月には陸軍輜重兵大佐進級と同時に輜重兵第19連隊長(朝鮮軍・第19師団[12][13][14])に転じ[11]、1940年(昭和15年)8月に第11軍野戦自動車廠長に就任して日中戦争に出動した[1][11]。
1942年(昭和17年)8月1日、陸軍少将進級と同時に第6野戦輸送司令官(関東軍・第3軍)に着任し[1][11]、1944年(昭和19年)12月に東部軍司令部附[1]、1945年(昭和20年)2月1日に東部軍管区司令部附となり終戦を迎えた[15]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[16]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 福川 2001, 321頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調1229頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調1198頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調1217頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調1228頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和5年9月1日調1241頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和8年9月1日調1151頁
- ^ 外山・森松 1987, 446頁.
- ^ 外山・森松 1987, 447頁.
- ^ 外山・森松 1987, 448頁.
- ^ a b c d 外山 1981, 304頁.
- ^ 外山・森松 1987, 561頁.
- ^ 外山・森松 1987, 562頁.
- ^ 外山・森松 1987, 563頁.
- ^ 「第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。