上野勘一郎
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上野 勘一郎 | |
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生誕 |
1888年5月3日 日本 和歌山県 |
死没 | 1974年11月30日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1941年 1941年 - 1942年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
上野 勘一郎(うえの かんいちろう、1888年(明治21年)5月3日[1] - 1974年(昭和49年)11月30日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級[2]
経歴
[編集]1888年(明治21年)に和歌山県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第33期卒業[1]。1933年(昭和8年)8月、陸軍歩兵大佐進級と同時に関東軍高級副官に着任し[2]、1935年(昭和10年)に歩兵第10連隊長に転じた[2]。
1937年(昭和12年)8月2日、陸軍少将進級と同時に歩兵第29旅団長(上海派遣軍・第3師団)に着任し[1][2]、上海に出動[1]。呉淞に敵前上陸を敢行し[1]、敵軍を制圧[1]。追撃戦に移行し[1]、南京攻略、徐州会戦、武漢攻略に参加[1]。1939年(昭和14年)3月9日に留守第7師団司令部附を経て[1]、6月2日に樺太混成旅団長に就任し[1]、10月2日に陸軍中将に進級した[2]。1940年(昭和15年)9月1日に第51師団長(東部軍)に親補され[1]、1941年(昭和16年)7月5日に予備役に編入された[1]。同年7月7日に召集され、留守第51師団長に就任し[1]、1942年(昭和17年)4月1日に召集解除となった[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、和歌山連隊区司令官兼和歌山地区司令官に就任した[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。