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李翰林

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李翰林
이한림
生誕 1921年2月10日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道安辺郡
死没 (2012-04-29) 2012年4月29日(91歳没)
大韓民国の旗 大韓民国京畿道盆唐区
所属組織  満洲国軍
大韓民国陸軍
最終階級 中尉(満州国軍)
中将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第2墓域207号
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李翰林
各種表記
ハングル 이한림
漢字 李翰林
発音: イ・ハルリム
日本語読み: り かんりん
ローマ字 Lee Han-Lim
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李 翰林(イ・ハルリム、이한림)は大韓民国軍人外交官政治家本貫平昌李氏[1]創氏改名による日本名香住翰林(かずみ かんりん)[2]朝鮮戦争開戦時の陸軍士官学校副校長。太極武功勲章授与者。

人物

[編集]

1921年2月、咸鏡南道安辺に生まれる。新京軍官学校第2期予科卒業、陸軍士官学校に留学して第57期相当、高射砲隊に配属、満州国軍中尉。終戦後、新京保安司令部(長:丁一権)生徒隊教官[3]

1946年2月21日付で軍事英語学校を卒業して中尉に任官(軍番10056番)[4]。第3連隊の創設に参加。のちに警備士官学校教務処長。1946年11月末、第6連隊に派遣され、大隊副官兼作戦主任[5]。1947年2月第6連隊大隊長[6]

1947年5月12日、第4連隊長[7]。1948年7月、アメリカ陸軍歩兵学校に留学[8]。1949年3月に帰国して陸軍士官学校副校長。

1950年7月1日、第2師団長[9]。同年7月15日、慶尚北道咸昌で第2軍団が編成されると副軍団長[10]。同年8月、第2軍団参謀長。

1950年12月、国防部国民防衛局長。

1951年1月13日、陸軍本部情報局長[11]。同年4月、陸軍本部作戦局長。同年7月、陸軍歩兵学校校長。

1952年1月9日、国防部第2局(政訓局)長[12][13]。同年5月、休戦会談韓国代表[14]

1953年6月15日、第9師団長[15]、任少将。

1954年、第6軍団長、任中将。在任中の副大統領選挙で、当時与党候補の李起鵬を支持せず中立を保った[16]。このため報復人事措置として、現役の軍団長から国防大学院に入学することになった[16]

1957年、国防大学院卒業、陸軍士官学校校長。

1960年10月、第1軍司令官[17]

1961年5月、5・16軍事クーデターにより反革命容疑で監禁・不起訴。同年8月24日、予備役編入[18]

1962年、カリフォルニア州立大学修了。

1963年6月、水産開発公社社長。

1968年3月、鎮海化学社長。

1969年2月から建設部長官、国際観光公社総裁、駐トルコ大使を歴任。

勲章

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出典

[編集]
  1. ^ 평창 이씨(平昌 李氏)” (朝鮮語). 강원도민일보 (2003年5月11日). 2022年8月18日閲覧。
  2. ^ 정운현 (2004年8月19日). “"목표 위해 죽음 불사할만큼 성실" - 우등 성적으로 4년 만에 '황군' 소위” (朝鮮語). 오마이뉴스. http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000204062 2016年1月5日閲覧。 
  3. ^ “중국인들 무자비한 한인보복살인 교민 자유 위해 보안사 설치-김홍일장군 권고따라 천신만고 끝에 귀국” (朝鮮語). 中央日報. (1982年11月29日). オリジナルの2021年5月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210504184853/http://news.joins.com/article/1665699 2017年10月8日閲覧。 
  4. ^ 佐々木 1983, p. 87.
  5. ^ 佐々木 1983, p. 160.
  6. ^ 佐々木 1983, p. 161.
  7. ^ 佐々木 1983, p. 194.
  8. ^ 佐々木 1983, p. 214.
  9. ^ 박동찬 2014, p. 107.
  10. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 下巻』、156頁。 
  11. ^ “陸軍(육군) 將星級(장성급) 異動(이동)” (朝鮮語). 부산일보. (1951年1月18日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19510118000027 2019年10月24日閲覧。 
  12. ^ 박동찬 2014, p. 95.
  13. ^ 連続刊行物 自由新聞「군 수뇌부 인사이동」” (朝鮮語). 国史編纂委員会. 2019年11月20日閲覧。
  14. ^ 編年資料 資料大韓民国史 平和新聞「李翰林준장, 劉載興중장을 대신해 휴전회담 한국대표로 선발」” (朝鮮語). 国史編纂委員会. 2019年11月20日閲覧。
  15. ^ 박동찬 2014, p. 109.
  16. ^ a b “박정희 쿠데타에 맞섰던 이한림 장군 별세” (朝鮮語). 머니투데이 뉴스. (2012年4月30日). http://news.mt.co.kr/mtview.php?no=2012043014408235575 2018年1月19日閲覧。 
  17. ^ “金鍾五中將을 任命” (朝鮮語). 부산일보. (1960年10月8日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19601008000057 2019年11月20日閲覧。 
  18. ^ 連続刊行物 東亜日報「豫編措置 李翰林中將 崔錫中將」” (朝鮮語). 国史編纂委員会. 2019年11月19日閲覧。
  19. ^ a b Han Lim Lee”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2 
  • 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201408070704130850.pdf 

外部リンク

[編集]
軍職
先代
白仁燁
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部情報局長
第6代:1951.1.14 - 1951.4.6
次代
李厚洛
(代理)
先代
姜文奉
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部作戦教育局長
第6代:1951.4.6 - 1951.7.22
次代
李龍文
先代
李鍾賛
大韓民国の旗 大韓民国陸軍歩兵学校校長
第6代:1951.7.22 - 1952.1.22
次代
崔徳新
先代
白南権
大韓民国の旗 大韓民国陸軍士官学校校長
第14代:1957.7.31 - 1960.10.10
次代
姜英勲
先代
金鐘五
大韓民国の旗 大韓民国陸軍第1軍司令官
第5代:1960 - 1961
次代
朴林恒
公職
先代
李瑄根
大韓民国の旗 大韓民国国防部第2局長
第5代:1952.1.9 - 1952.5.27
次代
任大淳
先代
朱源
大韓民国の旗 大韓民国建設部長官
第7代:1969.2.17 - 1971.6.4
次代
太完善
外交職
先代
朴瓚鉉
大韓民国の旗トルコ共和国大韓民国大使
第7代:1974 - 1976
次代
文哲淳
先代
盧錫瓚
大韓民国の旗オーストラリア大韓民国大使
第4代:1977 - 1980
次代
尹河珽