張襄嬪
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襄嬪張氏(じょうひん ちょうし、? - 1644年以降)は、明の泰昌帝の側室。
経歴
[編集]万暦年間、皇太子朱常洛(後の泰昌帝)の邸に入り、淑女(皇子の側女)となった。
万暦48年(1620年)7月、万暦帝の崩御により泰昌帝が即位するが、側室たちが妃嬪に封ぜられる間もなく、9月1日に崩じた。代わって天啓帝が即位すると、張氏らは乾西(侍女の居所)に追放された。
崇禎13年(1640年)、国事のストレスにさいなまれた崇禎帝は、実母の孝純太后(元は張氏と同じく泰昌帝の側室だった)への強い懐旧の念を抱いた。その肖像を描かせるため、張氏は召し出されて光廟襄嬪(泰昌帝の廟号の光宗による)の徽号を授けられた。甥の張士元は正六品錦衣衛百戸の位を授けられた。
崇禎17年(1644年)3月、李自成軍が皇宮に進入すると、張氏は実家へ逃れて避難した。清朝には、清朝政府から手当を受けて扶養された。
伝記資料
[編集]- 『清世祖実録』
- 『崇禎長編』