後藤文明
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後藤 文明 (ごとう ふみあき) | |
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生誕 |
1965年5月10日(59歳) 群馬県 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 8000メートル峰6座登頂 |
後藤 文明(ごとう ふみあき、1965年5月10日 - )は、日本の登山家。
概要
[編集]1965年5月10日、群馬県に生まれる。高校時代から山登りをはじめ、国体出場5回の経験を持つ。群馬県山岳連盟境町山の会所属。スポニチ登山学校講師。
会社勤務の傍ら海外の山に挑戦し続け、1993年12月18日エベレスト冬季南西壁世界初登頂[1]、8000メートル峰14座のうち6座に登頂した。
経歴
[編集]- 1965年5月10日 - 群馬県に生まれる。
- 1987年8月13日 - プモリ(7,161m/ネパール)登頂。(大橋良雄,高田智博,金子悦治,小暮文彦,大山洋次,星野久男,大和享)
- 1990年8月 - サトパント(7,075m/インド)登頂。(日本ヒマラヤ協会ガンゴトリ登山隊:保坂昭憲,関根幸次,天城敞彦)
- 1993年
- 1995年6月9日 - マッキンリー(6,194m/アメリカ)登頂。(大山洋次,田島きく江,吉田文江,竹川弘一)
- 1997年
- 7月8日 - ガッシャーブルムII峰(8,035m/パキスタン)登頂。(群馬県カラコルム登山隊1997:尾形好雄)[4]
- 7月20日 - ブロード・ピーク(8,047m/パキスタン)登頂。(群馬県カラコルム登山隊1997:尾形美雄)[5]
- 1999年10月29日 - シシャパンマ(8,027m/チベット)登頂。(群馬県当期マナスル登山隊2000:星野龍史,名塚秀二,剣特典之,福本誠志)
- 2000年1月19日 - マナスル天候悪化のため登頂断念。[6]
- 2002年
- 8月5日 - ガッシャーブルムI峰(8,068m/パキスタン)登頂。(日本ヒマラヤ協会隊:田辺治,岩崎洋,野沢井歩)
- 下山中、後藤文明と岩崎洋が事故により重傷を負うが救出された。
関連書籍
[編集]- スポーツニッポン新聞東京本社編集「厳冬のサガルマータ―究極の挑戦南西壁」(1994/9,毎日新聞社) ISBN 978-4620603582
脚注
[編集]- ^ a b 国際的に認められる冬季登頂は、冬至から春分まで。さらにサミットプッシュの全行程がその期間内に行われる場合に限るので、その基準だと冬季登頂(登攀)にならず、晩秋の登頂になる。 例えばWinter Climbing | The Bitter Cold and Wind, History, The Calendar Winter and More (Part-2/2) : ExplorersWebを参照。
- ^ 八木原圀明. “群馬県山岳連盟「嶺呂」第49号 1993/10/29”. 2013年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月20日閲覧。
- ^ 日本山岳会. “群馬県冬期サガルマータ南西壁登山隊1993-1994”. 2013年10月20日閲覧。
- ^ 日本山岳会. “群馬県カラコルム登山隊1997「ガッシャーブルムII峰」”. 2013年10月20日閲覧。
- ^ 日本山岳会. “群馬県カラコルム登山隊1997「ブロードピーク」”. 2013年10月20日閲覧。
- ^ 名塚秀二. “群馬県山岳連盟「山岳ぐんま」第68号 2000/6/14”. 2013年10月20日閲覧。