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後藤晨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
後藤晨
ごとう あきら
生年月日 1930年3月3日
出生地 日本の旗 日本 岩手県胆沢郡水沢町
(現・岩手県奥州市
没年月日 (2022-06-15) 2022年6月15日(92歳没)
死没地 日本の旗 日本 岩手県奥州市
出身校 岩手県立花巻中学校卒業
前職 岩手県住宅供給公社理事長

当選回数 3回
在任期間 1992年1月 - 2004年1月28日
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後藤 晨(ごとう あきら、1930年昭和5年〉3月3日[1] - 2022年令和4年〉6月15日[2])は、日本政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。

来歴

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岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身[1]1946年(昭和21年)、岩手県立花巻中学校(現・岩手県立花巻北高等学校)卒[1]岩手県庁に入り、児童婦人、地方の各課長補佐[1]金ケ崎町助役[1]、県成人福祉、人事の各課長[1]、東京事務所長、県議会事務局長、土地開発公社副理事長、住宅供給公社理事長を歴任した[1]

1992年(平成4年)の水沢市長選挙に立候補し、無投票で当選した[3]。同年1月に市長に就任した[4]1996年(平成8年)の市長選挙も無投票で当選[5]

2000年水沢市長選挙

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2000年(平成12年)の市長選挙では新人との選挙戦になったが、これを破って3選を果たした[6]


※当日有権者数:-人 最終投票率:59.52%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
後藤晨69-19,328票69.6%-
瀬川貞清49-8,428票30.4%-

市長は2004年(平成16年)1月28日まで務めた[7]

2022年6月15日、うっ血性心不全のため奥州市内の病院で死去[2]。92歳没[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』213頁。
  2. ^ a b c “後藤晨旧水沢市長死去 92歳 3期12年務め、合併推進”. 岩手日日新聞. (2022年6月17日). https://www.iwanichi.co.jp/2022/06/17/8066401/ 2022年6月18日閲覧。 
  3. ^ 月刊社会党 (439) 90コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 市政 42(1)(486) 10コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 社会民主 (491) 86コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 社会民主 (539) 38コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 全国市長会ホームページ - 平成16年市長退任状況”. www.mayors.or.jp. 2024年9月23日閲覧。

参考文献

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