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後藤清一 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 清一(ごとう せいいち、1906年明治39年〉10月26日[1] - 2003年平成15年〉8月24日[1])は、日本の実業家松下幸之助井植歳男の二大経営者に仕えてその薫陶を受け、三洋電機の大番頭として、大手電機メーカーへ発展させるのを支えた[2]

来歴

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1906年10月大阪府に生まれる。

松下電器産業(後のパナソニックホールディングス)創業当時、見習工として入社。同社に26年間勤務した後、1947年井植歳男の三洋電機製作所(後の三洋電機)創業に参画。北条工場(兵庫県加西市)の工場長として大量生産方式を導入、創業商品の発電ランプ事業を軌道に乗せた[2]

1971年1月から10年間にわたって三洋電機副社長を務めた。1981年同社相談役に就任。

剛柔流空手道誠志館会長、名誉六段。全日本空手道連盟理事。兵庫県体操協会会長。近代経営者クラブ「MMC」会長を務めた。

「人生は気合」という言葉をよく口にした気骨ある人柄と、豊富な経験に基づいて統率力を発揮。地域への貢献で、兵庫県加西市の名誉市民になっている。

2003年、96歳で永眠[2]

著書

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単著

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共著

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  • 『今何に賭けるのか PHPゼミナール特別講話集』(共著:塚本幸一、小林茂、森政弘、松平康隆 )(PHP研究所1980年

脚注

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  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、496頁。
  2. ^ a b c 後藤清一氏が死去/三洋電機の発展に貢献 四国新聞社 2024年11月28日閲覧。

関連項目

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