コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

後藤福基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 福基(ごとう とみもと、生没年不詳)は、江戸時代初期の土佐藩士(母衣・禄500石)、通称は左京。家紋は「丸に一つ菱」。後藤久基の子。後藤象二郎の10代前の先祖[1]にあたる。

来歴

[編集]

後藤家の祖は、藤原北家利仁流の美作後藤氏である。後藤家は南北朝時代から戦国時代にかけての200年間、美作国の三星城を居城としたが、天正7年(1579年)5月に落城した。

慶長6年(1601年)、土佐藩山内一豊が土佐から上洛する途中の大坂で、嫡子後藤助右衛門と共に召抱えられた。福基は禄500石を与えられて御使母衣従六位相当)に列した。某年月日死去。

嫡子の助左衛門が一家として取り立てられていたため、福基の跡は次男の之基が継いだ。

家族

[編集]

補注

[編集]
  1. ^ 『御侍中先祖書系圖牒』 後藤福基、後藤助右衛門 各頁参照。

参考文献

[編集]
先代
-
土佐後藤家本家初代当主
次代
後藤之基