徐根宝
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名前 | ||||||
カタカナ | スー・ゲンバオ | |||||
ラテン文字 | Xu Genbao | |||||
中国語 | 徐根宝 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 中国 | |||||
生年月日 | 1944年1月26日(80歳) | |||||
出身地 | 上海 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1961-1965 1965-1975 |
南京部隊隊 八一足球隊 | |||||
代表歴 | ||||||
1966-1975 | 中国 | ? | (?) | |||
監督歴 | ||||||
1978-1979 1980-1981 1982 1984-1986 1987-1990 1991 1992-1993 1994-1996 1997 1998-1999 2001 2002 2007- |
山西省隊 火車頭 雲南省隊 北京体育学院 中国B代表 U-23中国代表 中国代表 上海申花 広州松日 大連万達 上海中遠 上海申花 上海東亜 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
徐 根宝(じょ こんぽう、スー・ゲンバオ、拼音: 、1944年1月26日 - )は、中国のサッカー選手、サッカー指導者。
経歴
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 1944年上海に生まれる。
- 1965年~1975年中国代表選手として試合に出る。
- 1975年から指導を行う。
- 1984年~1986年に北京体育学院で教える。
- 1990年~1992年にオリンピック中国代表チームの監督を務める。
- 中国にプロサッカーリーグができた後、1993年~1996年に上海申花の監督を務める。
- 1995年度の中国1部リーグ「甲A聯賽(甲Aリーグ)」で、上海申花を率いて、初制覇を達成する[1]。
- 1997年に広州松日を率いて、劇的な一部リーグへの昇格を果たし、名言「謝天、謝地、謝人」を残した[2]。
- 1998年に大連万達を中国王者に導いた[3]ほか、アジアクラブ選手権で準優勝を達成した。
- 2000年に「根宝足球基地」を設立する[4]。
- 2000年から2001年にかけて、上海中遠足球倶楽部の監督を務める。
- 2002年、再び上海申花の監督を務めるが成績不振で辞任。
- 2002年から持ち金を投資し、借金を背負ってまで、中国の若手選手の育成に励む。
- 2005年12月25日に「上海東亜足球倶楽部」を設立し、董事長、チェアマン、総監督を兼任する。
- 2007年上海東亜を率いて、3部リーグで優勝し、2部リーグへの昇格を果たす。
- 2008年上海東亜2部リーグ6位という結果を残す。
- 2009年上海U-20代表を率いて、26年ぶりに全国運動会の優勝を達成する。
- 2012年9月29日、上海東亜を率いて、68歳という高齢で念願の中国1部リーグ「中国スーパーリーグ」への昇格を果たす[5]。
脚注
[編集]- ^ China League 1995 RSSSF.com
- ^ 史海钩沉:徐根宝“谢天谢地谢人”的台前幕后 转 ido.3mt.com.cn、2009年1月21日掲載、2012年10月19日閲覧。
- ^ China League 1998 RSSSF.com
- ^ 根宝足球基地介绍 上海東亜足球倶楽部公式サイト、2010年4月2日掲載、2012年10月19日閲覧。
- ^ 中甲图:上海东亚冲超成功 吕文君激动 sports.sohu.com、2012年9月29日掲載、2012年10月19日閲覧。