グレゴリオ・マンサーノ
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名前 | ||||||
本名 |
グレゴリオ・マンサーノ・バジェステロス Gregorio Manzano Ballesteros | |||||
愛称 | Psicologo(シコロホ、心理学者)、Profesor(プロフェソル、先生)[1] | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1956年8月5日(68歳) | |||||
出身地 | バイレン | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
グレゴリオ・マンサーノ(Gregorio Manzano Ballesteros, 1956年8月5日 - )は、スペイン・アンダルシア州ハエン県出身のサッカー指導者。
心理学の学士号を所持し[2]、ロッカールームに貼ったメッセージで選手とコミュニケーションを取るなど独特な手法を用いることで知られる[3]。
経歴
[編集]下部リーグの監督時代
[編集]地元のハエン県で公立高校の教師として24歳の時に学校のクラブチームを率いたのが彼の指導者としての第一歩である[1]。ハエン市にあるさまざまなクラブを指導し、1990-91シーズンにはテルセーラ・ディビシオン(4部相当)のレアル・ハエンの監督に就任し、そのシーズンは4位で終えた。その後タラベラCFの監督に就任し、1996-97シーズンにはセグンダ・ディビシオンB(3部)で2位につけた。1997-98シーズンはプレーオフの最終日にセグンダ・ディビシオン昇格を逃した。1998年にはCDトレドの監督に就任し、セグンダ・ディビシオン(2部)で7位に到達した。
プリメーラの監督として
[編集]中堅チームを率い、限られた戦力で最大限の結果を出すことを得意とする。1999-2000シーズンはプリメーラ・ディビシオンのレアル・バリャドリードを指揮し、サンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードに勝利するなど、7位でシーズンを終えた。2000-01シーズンに指揮したラシン・サンタンデールでは、FCバルセロナを4-0で下した。2001-02シーズンはラーヨ・バジェカーノで11位になり、2002-03シーズンはRCDマヨルカの監督に就任した。レアル・マドリードに対して5-1で勝利し、コパ・デル・レイで優勝に導いた。2003-04シーズンはアトレティコ・マドリードから声がかかり、チームを7位に導いた。スペインサッカー協会は代表監督の座にマンサーノを招こうとしたが、彼はマラガCFの監督に就任した。しかしマラガでは不振を極め、2005年1月11日に解任された[4]。
2006年2月、エクトル・クーペル監督の後任としてRCDマヨルカの監督に復帰すると[4]、2007年夏にはアンゲロス・バシナスやボシュコ・ヤンコヴィッチ、2008年夏にはダニエル・グイサやアリエル・イバガサ、2009年夏にはフアン・アランゴやホセ・マヌエル・フラドなど、毎年のように主力選手数人を放出しながらも中位に導いた。2008-09シーズンは前半戦19位と低調な滑り出しだったが、後半戦はリーグ3位の勝ち点を積み重ね、最終的に9位で残留を決めた[5]。2009-10シーズンはホーム19戦で15勝1分3敗と優れた成績を残し、5位でシーズンを終えてUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得したが、クラブ側の厳しい財政事情により、契約を更新せずに退任した[6]。
2010年7月から8月にかけて、日本代表の新監督候補に挙げられていることが報道された[7][8]。2010年9月26日、成績不振により解任されたアントニオ・アルバレスの後任としてセビージャFC監督に就任した[9]。就任時から順位を2つ上げて5位でシーズンを終え、シーズン終了後に契約満了で退任した[10]。2011年6月8日、1年契約でアトレティコ・マドリード監督に復帰した[11]。しかし、12月22日に成績不振で解任された[12]。
2013年2月5日、RCDマヨルカの監督に就任[13]。同クラブを指揮するのは3度目である。
中国スーパーリーグ
[編集]2014年、中国に渡り北京国安監督就任。ACLで決勝トーナメント進出、中国スーパーリーグでも優勝争いに絡んだ。
2016年に上海申花監督就任。デンバ・バ、フレディ・グアリン、ジオバンニ・モレーノ、オバフェミ・マルティンス、李帥といった選手を擁し4位でACL2017出場権を獲得した。しかし契約面で拗れ同年限りで退任。
2017年に貴州智誠監督就任。2部から初昇格したチームをリーグ8位に導いた。しかし翌2018年シーズンは11節を消化してわずか1勝しかできず、6月7日に解任された[14]。
指導者経歴
[編集]- 1983-1985 サンティステバンCF
- 1985-1986 ビジャカリージョ
- 1986-1988 CDリュイトゥルヒ
- 1988-1989 ビジャヌエバ
- 1989-1990 ウベダCF
- 1990-1991 レアル・ハエン
- 1991-1993 マルトスCD
- 1996-1998 タラベラCF
- 1998-1999 CDトレド
- 1999-2000 レアル・バリャドリード
- 2000-2001 ラシン・サンタンデール
- 2001-2002 ラーヨ・バジェカーノ
- 2002-2003 RCDマヨルカ
- 2003-2004 アトレティコ・マドリード
- 2004-2005 マラガCF
- 2006-2010 RCDマヨルカ
- 2010-2011 セビージャFC
- 2011 アトレティコ・マドリード
- 2013 RCDマヨルカ
- 2014-2015 北京国安足球倶楽部
- 2015-2016 上海緑地申花足球倶楽部
- 2017-2018 貴州智誠足球倶楽部
タイトル
[編集]指導者
[編集]クラブ
[編集]- コパ・デル・レイ:2003
個人
[編集]- ドン・バロン・アワードリーグ最優秀監督賞:2008
- 中国サッカー協会最優秀監督賞:2014
脚注
[編集]- ^ a b Sports Graphic Number、文芸春秋、2010年5月20日号、52-55頁
- ^ 「王者バルサの守護神は南アフリカに行けるのか!?」ワールドサッカーキング、フロムワン、2010年5月6日号、52-55頁
- ^ アウェーで勝てず、ホームで強い 堅守を武器に健闘するマジョルカ Number Web、文芸春秋、2010年1月16日号
- ^ a b マジョルカの新監督にマンサーノ livedoorスポーツ、2006年2月15日
- ^ 「マジョルカの“ミラクル”の秘密に迫る」ワールドサッカーキング、フロムワン、2010年3月18日号
- ^ マジョルカ、EL出場の功労者のマンサーノ監督との契約を更新せず スポーツナビ、2010年5月20日
- ^ スペイン代表監督、実力派指揮官…気になる日本新監督候補リスト スポニチ、2010年7月1日
- ^ 日本代表次期監督、候補は3人に絞った デイリースポーツ、2010年8月2日
- ^ セビージャがアルバレス解任、後任はマンサーノ Goal.com、2010年9月27日
- ^ セビージャのマンサーノ監督が退任 UEFA.com、2011年5月25日
- ^ マンサーノ監督がアトレティコに復帰 UEFA.com、2011年6月8日
- ^ アトレティコ、マンサーノ解任を発表 Goal.com、2011年12月22日
- ^ マジョルカの後任指揮官はマンサーノ氏に決定 Goal.com、2013年2月6日
- ^ Mikel Sainz de Vicuña (2018年6月7日). “Manzano deja de ser entrenador del Guizhou Hengfeng” (スペイン語). MARCA. 2018年6月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- グレゴリオ・マンサーノ - BDFutbolによる監督成績
- Gregorio Manzano (@grmanzano) - X(旧Twitter)