フアン・アントニオ・ララニャガ
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名前 | ||||||
本名 |
フアン・アントニオ・ララニャガ・グルチャガ Jon Andoni Larrañaga Gurrutxaga | |||||
愛称 | Juanan, Larra | |||||
ラテン文字 | Jon Andoni Larrañaga | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1958年7月3日(66歳) | |||||
出身地 | アスペイティア | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
ユース | ||||||
ラグン・オナク | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1977-1980 | サン・セバスティアン | |||||
1980-1994 | レアル・ソシエダ | 460 | (15) | |||
代表歴 | ||||||
1986-1987 | スペイン U-21 | 4 | (0) | |||
1987 | スペイン U-23 | 2 | (0) | |||
1988 | スペイン | 1 | (0) | |||
1993 | バスク | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フアン・アントニオ・ララニャガ・グルチャガ(Jon Andoni Larrañaga Gurrutxaga、1958年7月3日 - )は、スペイン・バスク州アスペイティア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF。元スペイン代表。
1980年のプロデビューしてから現役引退までをレアル・ソシエダ一筋でキャリアを全うした選手[1]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1980年1月16日、コパ・デル・レイのペーニャ・スポルトFC戦にて、前半10分に途中交代でレアル・ソシエダでのトップチームデビューをプロデビューを果たした[2]。プロ3シーズン目となる1981-82シーズンからレギュラーに定着し、このシーズンはラ・リーガ優勝を経験し、UEFAチャンピオンズカップにも出場した。また、怪我をまったく負わない選手だったため、1985-86シーズンから1992-93シーズンまでのリーグ戦全202試合に連続出場したという記録を持っており、2021-22シーズンにアスレティック・ビルバオのイニャキ・ウィリアムズに追い抜かれるまでは、ラ・リーガの最長記録であった[3]。1993-94シーズン終了後、35歳で現役を引退した。また、引退後の2006年から2008年までの2年間は、レアル・ソシエダのカンテラで運営を担っていた[4]。
代表
[編集]1988年2月24日、チェコスロバキア代表との親善試合にて、スペイン代表初キャップを記録した[5]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- レアル・ソシエダ
- ラ・リーガ : 2回 (1980-81, 1981-82)
- コパ・デル・レイ : 1回 (1986-87)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1回 (1982-83)
個人
[編集]- 最優秀スペイン人選手 : 1回 (1987-88)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Juan Antonio Larrañaga: “Para jugar 202 partidos seguidos hace falta suerte y soportar el dolor”” (スペイン語). El Pais (2021年10月1日). 2022年5月6日閲覧。
- ^ “Real Sociedad 2-0 Peña Sport”. BDFutbol (1980年1月16日). 2022年5月6日閲覧。
- ^ “El ‘9’ del Athletic sigue sumando partidos” (スペイン語). Mundo Deportivo (2022年4月6日). 2022年5月6日閲覧。
- ^ “Badiola despide a Larrañaga” (スペイン語). El Diario Vasco (20008-4-9). 2022年5月6日閲覧。
- ^ Ensayo fatal y derrota inquietante; Mundo Deportivo, 1988年2月25日 (スペイン語)
外部リンク
[編集]- フアン・アントニオ・ララニャガ - BDFutbolによる個人成績
- フアン・アントニオ・ララニャガ - National-Football-Teams.com