マルティン・バスケス
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
ラファエル・マルティン・バスケス Rafael Martín Vázquez | |||||
ラテン文字 | Martín Vázquez | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1965年9月25日(59歳) | |||||
出身地 | マドリード | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983 | レアル・マドリード・カスティージャ | 141 | (3) | |||
1983-1990 | レアル・マドリード | 179 | (35) | |||
1990-1992 | トリノFC | 52 | (2) | |||
1992 | オリンピック・マルセイユ | 7 | (1) | |||
1992-1995 | レアル・マドリード | 73 | (7) | |||
1995-1997 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 17 | (2) | |||
1997-1998 | アトレティコ・セラヤ | 10 | (0) | |||
1998 | カールスルーエSC | 5 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1987-1992[1] | スペイン | 38 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ラファエル・マルティン・バスケス (Rafael Martín Vázquez, 1965年9月25日 - ) はスペイン出身の元サッカー選手。ポジションはMF。右足から繰り出される、セットプレーの名手として知られた[2]。
経歴
[編集]1983年にレアル・マドリードのトップチームにデビュー。キンタ・デル・ブイトレのメンバーの一人で、左サイドハーフとしてリーグ5連覇をはじめ数々のタイトル獲得に貢献し[2]。自身も1989-1990シーズンにはMFながら、リーグ戦で14得点を挙げる活躍を見せた。1990年にトリノFCへ移籍。リーグ3節のインテル戦で初得点を決めた[2]。背中の故障で数試合を欠場したが、リーグ戦27試合に出場、チームはリーグ第5位に入った[2]。1991年いミトローパ・カップで優勝。1991-92シーズンにはリーグ3位に入り、UEFAカップでも決勝まで進出する成功をおさめた[2]。しかし、チームの経済的事情で、オリンピック・マルセイユへ売却された[2]。9試合で3得点を記録したが、すぐにマルセイユを短期で離れ、再びレアル・マドリードへ戻った。怪我もあり、複帰後は必ずしも絶体的なレギュラーではなかったが、1994-95シーズンのリーグ優勝など、前回の所属時も含め、通算16のタイトルを獲得した[2]。その後1995年にデポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍し2年間プレーする。そして、1997年にエミリオ・ブトラゲーニョのいるメキシコのアトレティコ・セラヤへ移籍し、ドイツのカールスルーエSCで現役を引退した。
スペイン代表としては38試合に出場[2]。1987年9月23日にルクセンブルグとの対戦で代表デビュー[2]。1991年9月4日のウルグアイとの親善試合でディ表での唯一の得点を決めた[2]。しかし、1992年に監督に就任したハビエル・クレメンテは代表におけるキンタ・デル・ブイトレの解体を行い、1994年のワールドカップ予選を最後に。まだ20代であったものの、代表から遠ざかった。