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トマス・レニョネス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トマス
名前
本名 ペドロ・トマス・レニョネス・クレーゴ
Pedro Tomás Reñones Crego
ラテン文字 Tomás
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1960-08-09) 1960年8月9日(64歳)
出身地 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
身長 171cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF (RB)
利き足 右足
ユース
スペインの旗 バルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1981 スペインの旗 SDコンポステラ 33 (0)
1981-1984 スペインの旗 アトレティコ・マドリレーニョ 78 (1)
1984-1996 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 367 (2)
1996-1997 スペインの旗 マルベジャ 30 (0)
1997-1998 スペインの旗 サン・ペドロ 21 (0)
通算 529 (3)
代表歴
1985-1989 スペインの旗 スペイン 19 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ペドロ・トマス・レニョネス・クレーゴPedro Tomás Reñones Grego, 1960年8月9日 - )は、スペインガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラ出身の元同国代表サッカー選手、元政治家。ポジションはDF

クラブ経歴

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1980-81シーズン、当時セグンダ・ディビシオンBに所属していたSDコンポステラで国内リーグ初出場。同シーズン終了後、アトレティコ・マドリードのBチームに引き抜かれ、在籍2シーズン目にはセグンダ・ディビシオン優勝を経験した[1]

1984-85シーズン開幕前、アトレティコ・マドリードのトップチームへと昇格。トップチームデビューシーズンからリーグ戦32試合に出場し、コパ・デル・レイでは優勝に貢献した[1]。その後もアトレティコ・マドリードで8シーズン連続リーグ戦30試合以上に出場し、クラブでの公式戦通算出場は483試合を記録した[2]。1995-96シーズン、クラブはリーグとコパ・デル・レイの国内2冠を達成したが、トマスはリーグ戦17試合のみの出場に終わった。同シーズン終了後、クラブを退団してCAマルベジャに加入。1998年、UDサン・ペドロで現役から引退した[3]

代表経歴

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1985年11月20日、オーストリア代表との親善試合スペイン代表初キャップを記録[4]

トマス自身初の国際大会となった1986 FIFAワールドカップでは、ベスト4でベルギー代表にPK戦で敗れるまで全5試合に先発フル出場を果たした。2年後のUEFA EURO1988でもレギュラーとしてグループステージ全3試合にフル出場したが、グループステージのイタリア代表戦と西ドイツ代表戦に敗れてグループステージ敗退となった。

現役引退後

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現役引退後は元アトレティコ・マドリード会長のヘスス・ヒルから誘いを受け、極右政党グルポ・インデペンディエンテ・リベラル英語版(GIL)に入党。2006年にはマルベーリャの市長に当選したが、同年に発覚した汚職事件であるマラヤ事件スペイン語版によって9ヶ月の執行猶予付き有罪判決を受けた[5]

タイトル

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アトレティコ・マドリレーニョ
アトレティコ・マドリード

個人成績

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関連項目

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脚注

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外部リンク

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  • トマス - BDFutbolによる個人成績 (英語)
  • トマス - National-Football-Teams.com