キケ・セティエン
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2010年のセティエン | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
エンリケ・セティエン・ソラール Enrique Setién Solar | |||||
愛称 | Quique | |||||
ラテン文字 | Quique Setién | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1958年9月27日(66歳) | |||||
出身地 | サンタンデール | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
カサブランカ | ||||||
Perines | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1977–1985 | ラシン・サンタンデール | 204 | (43) | |||
1985–1988 | アトレティコ・マドリード | 73 | (7) | |||
1988–1992 | CDログロニェス | 114 | (20) | |||
1992–1996 | ラシン・サンタンデール | 124 | (25) | |||
1996 | レバンテUD | 3 | (0) | |||
通算 | 518 | (95) | ||||
代表歴 | ||||||
1978–1982 | スペイン U-21 | 2 | (0) | |||
1985–1986 | スペイン | 3 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2001-2002 | ラシン・サンタンデール | |||||
2003 | ポリ・エヒド | |||||
2006 | 赤道ギニア | |||||
2007-2008 | CDログロニェス | |||||
2009-2015 | CDルーゴ | |||||
2015-2017 | UDラス・パルマス | |||||
2017-2019 | レアル・ベティス | |||||
2020 | FCバルセロナ | |||||
2022- | ビジャレアルCF | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
キケ・セティエン(Quique Setién)こと、エンリケ・セティエン・ソラール(Enrique Setién Solar, 1959年9月27日 - )は、スペイン・サンタンデール県サンタンデール出身の元サッカー選手。ラ・リーガ・ビジャレアルCF監督。現サッカー指導者。
来歴
[編集]選手時代
[編集]1977年に地元のラシン・サンタンデールでプロデビュー。1984-85シーズンまで主力として活躍。1985年から3シーズンはアトレティコ・マドリードでプレー。以降CDログロニェスやレバンテUDなどでもプレーし、1996年に引退した。
1985年から2年間、スペイン代表に招集され、1986 FIFAワールドカップのメンバーにも招集された。
監督歴
[編集]2001-02シーズンにラシン・サンタンデールで監督業を開始。2006年には赤道ギニア代表の監督を務める。
2009年6月、CDルーゴの監督に就任。6シーズン監督を務め、2011-12シーズンにはセグンダ・ディビシオンBからセグンダ・ディビシオンに引き上げた。
2015年10月19日、解任されたパコ・エレーラの後任としてUDラス・パルマスの監督に就任[1]。2015-16シーズンはプリメーラ・ディビシオンで11位。翌2016-17シーズンも14位と、2シーズン連続でトップリーグ残留に導いた。
2017年5月26日、レアル・ベティスの監督に就任。就任1年目の2017-18シーズンは、9月20日の敵地サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリード戦に勝利。以降もロレンやジュニオルなど、カンテラ出身選手を積極的に起用し、リーグ6位の好成績を収めた。乾貴士を加えた2018-19シーズンは、シーズン序盤のカンプ・ノウでのFCバルセロナ戦に4-3で勝利するなど、注目を集める。しかし、以降は失速。特に本拠地エスタディオ・ベニート・ビジャマリンでの開催が決定したコパ・デル・レイでは、準決勝に進出しながらもバレンシアCFに敗退したことで地元ファンから非難された。シーズンも10位に終わり、シーズン終了後の2019年5月19日付で退任したことが発表された[2]。
2020年1月14日、FCバルセロナの監督に就任したことが発表された[3]。しかし、自身のスタイルを構築することは出来ず、ラ・リーガの覇権をレアル・マドリードに明け渡し、更に8月14日のUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝では、FCバイエルン・ミュンヘンに2-8の歴史的大敗を喫し、3日後の8月17日に解任された[4]。 2021年8月、スペイン誌「Jot Down」のインタビューで今後チームの指揮を続ける意思がないことを明らかにし、監督業からの引退を示唆した。
「もう二度とチームを率いることはないと思う」
バルセロナ解任後、スペイン国内外問わずオファーが届きながらも決断をした理由として
「もう関心がなくなってしまったんだ。ここ数年、私が経験してきたフットボールは私が好きなフットボールではなかった。私が好きだったのはフットボールをプレーすることだった。実際、私は自分が指導者になるとも思っていなかった」とコメント。
また、セティエン氏はバルサ時代のことを振り返り、「あのようなドレッシングルームはこれまでになかった。何かが違っていた。ショックを受けたよ」と、選手時代も含め40年のキャリアで一度も経験したことのないチーム状況だったと語っている。
2022年10月26日、ビジャレアルCFの監督に就任したことが発表された[5]。
脚注
[編集]- ^ “Las Palmas sack Paco Herrera as manager, hire Quique Setien”. ESPN (2015年10月20日). 2018年5月30日閲覧。
- ^ “乾の所属元ベティス、セティエン監督の退任を発表”. 超ワールドサッカー (2019年5月20日). 2019年5月20日閲覧。
- ^ “新監督、 キケ・サティエン”. FCバルセロナ (2020年1月14日). 2020年1月14日閲覧。
- ^ “キケ・セティエン、トップチームの監督から離れる”. FCバルセロナ (2020年8月18日). 2020年8月18日閲覧。
- ^ “¡BIENVENIDO, QUIQUE SETIÉN!”. VILLARREAL CF (2022年10月26日). 2022年10月26日閲覧。
外部リンク
[編集]- キケ・セティエン - BDFutbolによる個人成績
- キケ・セティエン - BDFutbolによる監督成績
- キケ・セティエン - National-Football-Teams.com
- Spain stats at Eu-Football