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御稲御倉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御稲御倉
所在地 三重県伊勢市宇治館町1 内宮宮域内
位置 北緯34度27分18.8秒 東経136度43分28.7秒 / 北緯34.455222度 東経136.724639度 / 34.455222; 136.724639 (御稲御倉)座標: 北緯34度27分18.8秒 東経136度43分28.7秒 / 北緯34.455222度 東経136.724639度 / 34.455222; 136.724639 (御稲御倉)
主祭神 御稲御倉神
社格 皇大神宮所管社
創建 古代
本殿の様式 唯一神明造
主な神事 神嘗祭
地図
御稲御倉の位置(三重県内)
御稲御倉
御稲御倉
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御稲御倉(みしねのみくら、ごとうのみくら[1])は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)とも称する[2][3][4]。内宮の宮域内、荒祭宮に向かう道の途中に鎮座する[2]

小さいながら、内宮と同じ唯一神明造神社である[2][5]

概要

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三重県伊勢市宇治館町、内宮の宮域、正宮の北西に鎮座する[5]。内宮の所管社30社のうち第6位である。内宮の正宮でが行われるたびに御稲御倉でも祭祀が行われる[2]。御稲御倉の北には外幣殿(げへいでん)がある[1]

神宮神田で収穫されたイネは抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納められる[2]。御倉のイネは内宮の祭祀に合わせて取り出され、大御饌として天照大神に捧げられる[2][5]。すなわち内宮穀倉として利用されている[5]。古式に則り、装束をまとった神職が御倉へ納める[6]。御倉からイネを取り出すことを御稲奉下(ごとうほうげ[6]、みしねほうげ[7])と称し、前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行う[6]。奉下されたイネは稲扱(いねこき)、籾摺(もみすり)、七分搗きにした後、忌火屋殿で神酒御餅・御飯(おんいい)に調理され、神前に供される[7]

なお、神宮式年遷宮の祭事の1つで、正殿の床下に柱を立てる「心御柱奉建」(しんのみはしらほうけん)で用いる心御柱も御稲御倉に納められる[8]

社殿は唯一神明造である[2]。内宮の方角(東)を向いて建っている[2]高床切妻屋根で、千木・鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造である[1]。高床であるため、御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、権禰宜が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出す[9]玉垣賽銭箱はない。

祭神

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祭神は御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)[2]。御稲御倉の守護神である[2][5]神宮式年遷宮に伴って社殿が建て替えられる際には、御稲御倉神は一時的に外幣殿に遷座する[10]

平安時代の『大治御形記』には保食神(うけもちのかみ)とあり、鎌倉時代の『神名秘書』ではウカノミタマとする[11]

歴史

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古代より存在したと考えられる[6]。調御倉(つきのみくら)・御塩御倉・鋪設御倉・御稲御倉・御稲御倉の4棟で1組として板垣外の西方に建っていたが、平安時代中頃より、外幣殿と4棟1組は外玉垣の内側に入った[12]。当時は神明造ではなく校倉造で、千木・鰹木はなかったようである[13]。正宮の敷地内にあったので式年遷宮のたびに移動していたが、中世の末に4棟とも廃絶した[13]

御稲奉下は禰宜・大内人ら4名が大物忌(おおものいみ)と大物忌父を伴って執行していた[6]。この時の服装は、内宮で祭儀を行うのと同じ官給の明衣(きよぎぬ)であり、如何に重要な神社であったかが分かる[6]。奉下されたイネは大物忌の子らはで撞き、(かまど)で蒸し、炊き上がったご飯(け)に盛って神前に供された[4]。御飯は内宮・荒祭宮・滝祭神に捧げられた[4]

天正年間(1573年 - 1592年)に4棟のうち、正宮の北西に御稲御倉のみ神明造で復興され、以後式年遷宮ごとに建て替えられた[13]。室町時代以降は御稲御倉で神嘗祭の織御衣(おりのみそ)がここで織られたので、御機殿の異名を持っていた[13]

明治以降、御稲御倉神が祀られるようになり、1889年(明治22年)には荒祭宮へ向かう道の途中に鎮座位置が固定された[13]

交通

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宇治橋前まで
宇治橋前から
  • 宇治橋から内宮(正宮)まで参道を進み、内宮の西側から荒祭宮へ向かう参道を進むと御稲御倉が鎮座する[2]。付近には外幣殿(げへいでん)もある[2]

脚注

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  1. ^ a b c 福山ほか(1975):228ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 伊勢文化舎 編(2008):114ページ
  3. ^ 宇治山田市役所 編(1929):16ページ
  4. ^ a b c 櫻井(1970):156ページ
  5. ^ a b c d e 学研パブリッシング(2013):56ページ
  6. ^ a b c d e f 櫻井(1970):155ページ
  7. ^ a b 矢野(2006):111ページ
  8. ^ “内宮で心御柱奉建 伊勢神宮式年遷宮”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2013年9月25日). オリジナルの2013年10月13日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2013-1013-0152-17/sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm 2013年10月13日閲覧。 
  9. ^ 矢野(2006):111 - 112ページ
  10. ^ 伊勢文化舎 編(2013):6ページ
  11. ^ 櫻井(1970):155 - 156ページ
  12. ^ 福山ほか(1975):228 - 229ページ
  13. ^ a b c d e 福山ほか(1975):229ページ
  14. ^ a b 三重県観光連盟"伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重"(2013年10月12日閲覧。)

参考文献

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  • 伊勢文化舎 編『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
  • 伊勢文化舎 編『いせびとニュース第12号』残暑号、伊勢文化舎・伊勢市観光協会・おかげ参り推進委員会、平成25年8月17日、8p.
  • 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
  • 学研パブリッシング『伊勢神宮に行こう』Gakken Mook神社紀行セレクションvol.1、薗田稔監修、学研マーケティング、2013年7月4日、82p. ISBN 978-4-05-610047-1
  • 櫻井勝之進『伊勢神宮』学生社、昭和45年10月20日重版、251p.
  • 福山敏男稲垣榮三・村瀬美樹・胡麻鶴醇之『神宮―第六十回神宮式年遷宮―』小学館、昭和50年4月20日、246p.
  • 矢野憲一『伊勢神宮―知られざる杜のうち』角川選書402、角川学芸出版、平成18年11月10日、270p. ISBN 4-04-703402-9

関連項目

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外部リンク

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