徳子女王
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徳子女王(とくこじょおう、? - 1757年7月10日(宝暦7年5月24日))は、江戸時代中期の女性。紀州藩第7代藩主・徳川宗将の正室(御簾中)。伏見宮貞建親王の養女。父は今出川公詮。松平忠功の生母。院号は浄眼院。幼名は富宮。
今出川公詮の娘として生まれ、後に伏見宮貞建親王の養女となる。紀州藩第7代藩主・徳川宗将の正室となり、宗将との間に4男3女を生む。息子の松平忠功は桑名藩主となる[1]。
1757年(宝暦7年5月24日)、死去。墓所は和歌山県海南市の長保寺[2]。
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