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徳島 胤順(とくしま たねより、?-?)は戦国時代の肥前国の武将。土佐守。妻は龍造寺家門の娘。
徳島氏は九州千葉氏の支流とされる。父の時代からすでに龍造寺氏に仕えており、天文15年(1546年)には龍造寺家兼の馬場頼周征討にも参加している。その後の天文22年(1553年)には龍造寺隆信の筑後からの帰還征討戦にも参加している。天正7年(1579年)に、龍造寺政家より桐日光紋を許されるなど、龍造寺家中でもある程度の地位を占めていたと思われる。