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徳川多恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳川 多恵子
(多恵子女王)
徳川家
続柄 北白川宮成久王第3王女子

全名 徳川 多恵子(とくがわ たえこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
お印 牡丹[1]
出生 1920年4月15日
日本の旗 日本東京府東京市芝区高輪南町
(現:東京都港区高輪)北白川宮邸
死去 (1954-11-05) 1954年11月5日(34歳没)
日本の旗 日本・東京都
配偶者 徳川圀禎
父親 北白川宮成久王
母親 成久王妃房子内親王
栄典 勲二等宝冠章
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徳川 多恵子(とくがわ たえこ、1920年大正9年〉4月15日 - 1954年昭和29年〉11月5日)は、日本の元皇族北白川宮成久王同妃房子内親王の第3王女子。徳川圀禎(徳川圀順の次男)の妻。旧名は、多恵子女王(たえこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。兄に北白川宮永久王、姉に立花美年子(美年子女王)と東園佐和子(佐和子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。

人物

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1920年(大正9年)4月15日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第3王女子として生まれた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。1941年(昭和16年)4月7日付で勲二等宝冠章を受章[2]。その後、徳川圀禎(徳川圀順の次男)のもとに降嫁した。

栄典

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血縁

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脚注

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  1. ^ 【ボンボニエールの物語vol.44】悲劇の宮家の物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2021年4月20日). 2022年12月13日閲覧。
  2. ^ a b 『官報』第4273号、「叙任及辞令」1941年04月08日。
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

外部リンク

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