コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

立花美年子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立花 美年子
(美年子女王)
立花家
1920年代
続柄 北白川宮成久王第1王女子

全名 立花 美年子(たちばな みねこ)
身位 女王→(皇籍離脱
敬称 殿下→(皇籍離脱)
出生 1911年5月6日
日本の旗 日本 東京府東京市芝区
(現:東京都港区高輪)北白川宮邸
死去 (1970-04-10) 1970年4月10日(58歳没)
配偶者 立花種勝
父親 北白川宮成久王
母親 成久王妃房子内親王
栄典 勲二等宝冠章
テンプレートを表示
妹の佐和子女王(左)と

立花 美年子(たちばな みねこ、1911年明治44年〉5月6日 - 1970年昭和45年〉4月10日)は、日本の元皇族北白川宮成久王同妃房子内親王の第1王女子。立花種勝の妻。旧名は、美年子女王(みねこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。兄に北白川宮永久王、妹に東園佐和子(佐和子女王)と徳川多恵子(多恵子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。

人物

[編集]

1911年(明治44年)5月6日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第1王女子として生まれた。

学生時代の学習院初等科から女子学習院(現在の学習院女子中・高等科)においては、高松宮妃喜久子と同級で仲が良かったという。高松宮妃や周囲からは「みね様」と呼ばれていた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。

当初、蜂須賀正氏(侯爵・蜂須賀正韶の嫡男)との婚約が内定していたが、のちに破談。

1933年(昭和8年)1月13日付で勲二等宝冠章を受章[1]。同年1月17日立花種勝(子爵・立花種忠の嫡男)のもとに降嫁した[2]

栄典

[編集]

血縁

[編集]

夫・種勝との間に2男1女がいる。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『官報』第1810号、昭和8年1月14日(NDLJP:2958281/3
  2. ^ 昭和8年宮内庁告示第14号(『官報』第1813号、昭和8年1月14日)(NDLJP:2958284/2
  3. ^ 『官報』第849号、「叙任及辞令」昭和4年10月28日。p.672

関連項目

[編集]

ウィキメディア・コモンズには、立花美年子に関するカテゴリがあります。