コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

徳川家霊廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日光東照宮(陽明門)
増上寺台徳院霊廟惣門
輪王寺大猷院霊廟
寛永寺厳有院霊廟勅額門
寛永寺常憲院霊廟勅額門
増上寺旧文昭院霊廟奥院中門(現在は増上寺徳川家墓所の入口)
増上寺有章院霊廟二天門

徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、江戸幕府将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、江戸(現・東京)の寛永寺増上寺、及び栃木県日光輪王寺にある[注釈 1]江戸時代の華麗な建築技術・意匠の粋を集めた建築群として日光東照宮と並び称されるが、このうち寛永寺と増上寺の霊廟は、大部分の建物が1945年昭和20年)の戦災で焼失した。

徳川歴代将軍の霊廟所在地

[編集]
  1. 徳川家康1543年 - 1616年
    久能山東照宮日光東照宮
  2. 徳川秀忠1579年 - 1632年、家康の三男)
    増上寺 台徳院霊廟
    増上寺 崇源院霊牌所
    ※没後、崇源院霊屋が増上寺に建てられたが、秀忠の没後、崇源院は台徳院霊廟に祀られた。建物(旧崇源院霊屋)は正保4年(1647年)、鎌倉の建長寺に移築され、仏殿となった。
  3. 徳川家光1604年 - 1651年、秀忠の次男)
    輪王寺 大猷院霊廟
    ※法要を寛永寺で行い輪王寺に埋葬された。寛永寺の霊廟は、1720年(享保5年)に焼失し再建されず、霊牌は巌有院廟に合祀された。
  4. 徳川家綱1641年 - 1680年、家光の長男)
    寛永寺 厳有院霊廟
  5. 徳川綱吉1646年 - 1709年、家光の四男)
    寛永寺 常憲院霊廟
  6. 徳川家宣1662年 - 1712年、家光の三男甲府城綱重の長男)
    増上寺 文昭院霊廟
  7. 徳川家継1709年 - 1716年、家宣の四男)
    増上寺 有章院霊廟
  8. 徳川吉宗1684年 - 1751年御三家で、紀州家2代光貞の四男、家康の曾孫)
    墓所:寛永寺、常憲院霊廟に合祀。院号:有徳院
    ※吉宗は1720年(享保5年)御霊屋建立禁止令を出し、以降大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔か霊牌所が建立された。
  9. 徳川家重1711年 - 1761年、吉宗の長男)
    墓所:増上寺、有章院霊廟に合祀。院号:惇信院
  10. 徳川家治1737年 - 1786年、家重の長男)
    墓所:寛永寺、厳有院霊廟に合祀。院号:浚明院
  11. 徳川家斉1773年 - 1841年御三卿で、一橋家2代治済の長男、吉宗の曾孫)
    墓所:寛永寺、厳有院霊廟に合祀。院号:文恭院
  12. 徳川家慶1793年 - 1853年、家斉の二男)
    墓所:増上寺、文昭院霊廟に合祀。院号:慎徳院
  13. 徳川家定1824年 - 1858年、家慶の四男)
    墓所:寛永寺、常憲院霊廟に合祀。院号:温恭院
  14. 徳川家茂1846年 - 1866年、家斉の七男で紀州家11代斉順の長男)
    墓所:増上寺、文昭院霊廟に合祀。院号:昭徳院
  15. 徳川慶喜1837年 - 1913年、御三家で、水戸家9代斉昭の七男、一橋家9代当主)
    墓所:谷中寛永寺墓地(後継将軍がいないため合祀できず、谷中霊園内に神道形式で埋葬した)

現存する霊廟建築

[編集]

久能山東照宮

[編集]
家康が埋葬されている神廟
  • 初代家康を祀る社殿(本殿・石の間・拝殿)と、家康が埋葬されている神廟(廟所)がある。

家康の一周忌を前に(1617年3月〜4月)日光へ分祀された。分祀後の1617年12月に社殿が完成し、東照宮の原型となる。社殿は国宝、神廟他は重要文化財に指定されている。

日光

[編集]
  • 日光東照宮 - 初代家康を祀る。
  • 輪王寺大猷院霊廟 - 3代家光を祀る。

以上の建築群は国宝および重要文化財に指定され、世界遺産にも登録されている。

寛永寺

[編集]

厳有院(4代家綱)と常憲院(5代綱吉)の霊廟があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。焼け残った以下の建築が重要文化財に指定されている。

  • 厳有院霊廟 勅額門、水盤舎、奥院唐門、奥院宝塔(附 浚明院(徳川家治)宝塔、文恭院(徳川家斉)宝塔)
  • 常憲院霊廟 勅額門、水盤舎、奥院唐門、奥院宝塔(附 有徳院(徳川吉宗)宝塔、孝恭院(徳川家基)宝塔、温恭院(徳川家定)宝塔、天璋院(徳川家定夫人)宝塔)

8代吉宗、13代家定の宝塔は常憲院霊廟、10代家治、11代家斉の宝塔は厳有院の霊廟の敷地内に建っている。

増上寺

[編集]

台徳院(2代秀忠)、崇源院(秀忠夫人)、文昭院(6代家宣)、有章院(7代家継)の霊廟と、9代家重、12代家慶、14代家茂の宝塔があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。焼け残った以下の建築が重要文化財に指定されている。

  • 台徳院霊廟 惣門(芝公園・ザ・プリンス パークタワー東京内)
  • 台徳院霊廟 勅額門、丁字門、御成門(以上3棟は埼玉県所沢市に移築)
  • 有章院霊廟 二天門(芝公園・東京プリンスホテル内)

秀忠夫人崇源院霊廟の一部は鎌倉建長寺に移築された。霊廟跡地は、東京プリンスホテル(文昭院、有章院等)、ザ・プリンス パークタワー東京(台徳院、崇源院等)となっている。

これらの霊廟に祀られていた遺体は、1958年(昭和33年)に改葬され、墓所は増上寺安国殿裏の徳川家墓所に移転している。同墓所の入口の門は、もと文昭院霊廟の奥院の門だったもの。同墓所には以下の8基の宝塔が移築されている。

  • 文昭院(徳川家宣)宝塔(銅造) - 改葬後は天英院(家宣夫人)を合葬する
  • 崇源院(徳川秀忠夫人)宝塔(石造) - 改葬後は台徳院(秀忠)を合葬する(台徳院宝塔は木造であったため戦災で焼失)
  • 有章院(徳川家継)宝塔(石造)
  • 惇信院(徳川家重)宝塔(石造)
  • 慎徳院(徳川家慶)宝塔(石造)
  • 昭徳院(徳川家茂)宝塔(石造)
  • 静寛院宮(徳川家茂夫人)宝塔(銅造)
  • 月光院(徳川家継母)宝塔(石造) - 改葬後は将軍の生母・側室等の合祀塔となっている

現存する宝塔の画像

高野山

[編集]
高野山徳川家霊台
徳川家霊台 家康
徳川家霊台 秀忠

高野山塔頭・蓮花院は松平家時代より徳川家の菩提所・宿坊であった。文禄3年(1594年)の家康参詣を機に大徳院と改称、方の本寺となる。

3代家光により初代家康と2代秀忠の霊廟は大徳院にも建築された(徳川家霊台南院の裏手にあるが、現在は金剛峰寺の所有)。国の重要文化財および世界遺産に指定されている。

  • 安国院殿霊廟(家康)
  • 台徳院殿霊廟(秀忠)

明治期に大徳院は他の塔頭寺院と合併して金剛峯寺門前に移り、旧名の蓮花院に復したが、現在も徳川家歴代や大奥関係の位牌が祀られている。ちなみに奥の院には松平秀康および同母の霊屋(蓮花院の所有)があり、そちらも国の重要文化財および世界遺産に指定されている。

現存しない霊廟建築画像

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 江戸時代には、江戸城内の紅葉山に東照宮(紅葉山東照宮)が鎮座して歴代将軍の廟も併設されていたが、戊辰戦争江戸開城で徳川宗家が退去するに伴い撤廃された。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • ウィキメディア・コモンズには、徳川家霊廟に関するカテゴリがあります。