徳川広子
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徳川 広子(とくがわ ひろこ、1856年(安政3年7月) - 1886年(明治19年)6月29日[1])は、幕末の女性。紀州藩第14代藩主・徳川茂承の継室。溝口直溥の養女。父は本多忠穆。
生涯
[編集]本多忠穆の三女として生まれ、後に新発田藩主・溝口直溥の養女となる[2]。その後、前妻の徳川則子と死別した紀州藩第14代藩主・徳川茂承の継室となるが、茂承との間に子供はできなかった[3]。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.169
- ^ 「日本近代文学 第44-47号」(199年、日本近代文学会)
- ^ “本多氏(伊勢神戸藩)”. 世界帝王辞典. 2023年3月13日閲覧。