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本多忠穆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
本多忠穆
時代 江戸時代後期
生誕 天保元年(1830年9月20日
死没 安政3年(1856年9月22日
改名 溝口直與、本多忠穆
別名 虎吉、右京
伊勢神戸藩世嗣
氏族 溝口氏本多氏(彦八郎家)
父母 溝口直諒
本多忠寛
兄弟 溝口直溥忠穆溝口養正、菊姫、重姫ら12男15女
松平乗恵熾仁親王妃董子徳川広子
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本多 忠穆(ほんだ ただひこ)は、江戸時代後期の伊勢国神戸藩の世嗣。

略歴

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越後国新発田藩主・溝口直諒の六男として誕生。

安政3年(1856年)8月28日、神戸藩6代藩主・本多忠寛の養子となる。しかし、同年9月22日、家督相続前に早世した。享年27。代わって、出羽国新庄藩から忠貫が養子に迎えられ、嫡子となった。

系譜

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脚注

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  1. ^ 松平乗春 - 乗興(遺領分知を受け旗本) - 乗行 - 乗森 - 乗譲 - 乗顕 - 乗弼