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徳雲寺 (西尾市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳雲寺
所在地 愛知県西尾市吉良町吉田八ツ田45
位置 北緯34度47分40.6秒 東経137度03分54.7秒 / 北緯34.794611度 東経137.065194度 / 34.794611; 137.065194座標: 北緯34度47分40.6秒 東経137度03分54.7秒 / 北緯34.794611度 東経137.065194度 / 34.794611; 137.065194
山号 最勝王山
宗派 浄土宗
文化財 本堂、弁天堂(登録有形文化財
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徳雲寺(とくうんじ)は、愛知県西尾市吉良町吉田八ツ田45にある浄土宗寺院。山号は最勝王山。本堂と弁天堂が登録有形文化財[1][2]布施行者として知られる尼僧颯田本真[3]が開いた寺院である[1]

歴史

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颯田本真

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弘化2年(1845年)11月28日、颯田本真(颯田本真尼)は幡豆郡吉田村(現・西尾市吉良町)の颯田清左衛門の長女として生まれた[4]。文久2年(1862年)2月に庵を結んで慈教庵と号した[5]。慶応元年(1865年)以後には幡豆郡寺津村(現・西尾市寺津町)にある瑞松庵の実英尼の下で修行を行った[4]

徳雲寺の建立

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1879年(明治12年)5月9日に寺号を公称して徳雲寺となると[5]、1882年(明治15年)7月に本堂の建立を発願し、1883年(明治16年)9月に竣工して入仏式が行われた[4]。1890年(明治23年)の高潮では徳雲寺も被害を受けた[6]。1891年(明治24年)には濃尾地震が起こり、やはり徳雲寺も大きな被害を受けたとされる[6]

弁天堂の建立

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1918年(大正7年)7月、颯田本真の信徒で大阪に住む泉谷儀三郎は、了徳院から弁財天尊像を遷祀して弁天堂を建立した[4]。颯田本真はその後も精力的に窮民救済の活動を行い、1928年(昭和3年)に徳雲寺で死去した[4]

文化財

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登録有形文化財

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弁天堂
  • 本堂
    • 木造平屋建、瓦葺、建築面積214平方メートル[1]寄棟造、妻入[1]。正面3間、側面8間[1]。通りに東面する[1]。北には玄関棟が接続する[1]
    • 1883年(明治16年)竣工[1]。2021年(令和3年)2月4日、登録有形文化財に登録された[1]。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」[7]
  • 弁天堂
    • 木造平屋建、瓦葺、建築面積6.3平方メートル[2]。正面は入母屋造、背面は切妻造、妻入[2]。正面1間、背側面2間[2]。外壁は下見板張であり、正面のみ押縁下見板張[2]。本堂の東側に南面する[2]
    • 1918年(大正7年)竣工[2]。2021年(令和3年)2月4日、登録有形文化財に登録された[2]。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」[7]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 徳雲寺本堂 文化遺産オンライン
  2. ^ a b c d e f g h 徳雲寺弁天堂 文化遺産オンライン
  3. ^ 郷土の先人・先覚88 颯田本真 荘内日報社
  4. ^ a b c d e 徳雲寺 みかわこまち
  5. ^ a b 浅井岩次郎『吉田村史』吉田村、1915年、pp.176-177
  6. ^ a b 坂上雅翁「徳雲寺所蔵、颯田本真尼の新出資料」『関西国際大学研究紀要』第15号、2014年、pp.141-148
  7. ^ a b 徳雲寺本堂、徳雲寺弁天堂 愛知県

参考文献

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  • 浅井岩次郎『吉田村史』吉田村、1915年

外部リンク

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