徹通義介
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徹通 義介(てっつう ぎかい、承久元年2月2日(1219年2月18日)- 延慶2年9月14日(1309年10月18日))は、越前国出身の鎌倉時代中期の曹洞宗の僧。永平寺3世[1]、大乗寺開山。
略歴
[編集]地元の藤原氏(富樫氏とされる)に生まれ、13歳の時に地元の波著寺にて日本達磨宗の懐鑑に就いて出家、「義鑑」の法名を受ける。19歳の時に比叡山に登って授戒したが、仁治2年(1241年)に懐鑑と共に山城国深草興聖寺の道元の下に参じた。以後道元に師事し、永平寺で典座・監寺などの要職を務めた。
道元の没後は孤雲懐奘に師事し、途中、正元元年(1259年)に入宋し、諸寺院にて各種の祈祷や清規を学んだ[2]。その後帰国して、永平寺の規則や儀式の整備などを行った。
その後、文永4年(1267年)に懐奘の後を継いで永平寺第3世になるが、日本達磨宗系と曹洞宗系の内部対立(三代相論)を収めきれず、文永9年(1272年)に辞任し、麓に庵を建てて老母と共に隠居。後は再び懐奘が就任した。
懐奘の没後の弘安3年(1280年)に再び、永平寺住持となるが、両派の対立を収拾出来ず、永仁元年(1293年)に永平寺を出て加賀国に移り、大乗寺を真言宗寺院から禅寺に改めてその開山となった。
弟子には後に曹洞宗発展の基礎を築いた太祖瑩山紹瑾がいる。
脚注
[編集]- ^ 義演の没後、「義介と義演のいずれを永平寺三代とするかで双方の遺弟たちのあいだでさらに相論があった」(福井県史)福井県史該当部分
- ^ 道元も行なっていた龍神(龍天)や観音菩薩への祈祷だけでなく、般若経や十六善神への祈祷を持ち込んだ。大村2006
関係著書
[編集]関係論文
[編集]- 大村哲夫「仏に代わって祈りを聞くカミガミ : 禅宗寺院における自力と他力、祈祷の構造」『東北宗教学』第2巻、東北大学大学院文学研究科宗教学研究室、2006年12月、25-50頁、CRID 1390293334799931392、doi:10.50974/00001985、hdl:10097/48911、ISSN 1881-0187。
参考文献
[編集]- 『新版 禅学大辞典』p194(大修館書店、2003年)
外部リンク
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