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志磨神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
志磨神社

拝殿
所在地 和歌山県和歌山市中之島677
位置 北緯34度14分24.79秒 東経135度10分51.18秒 / 北緯34.2402194度 東経135.1808833度 / 34.2402194; 135.1808833 (志磨神社)座標: 北緯34度14分24.79秒 東経135度10分51.18秒 / 北緯34.2402194度 東経135.1808833度 / 34.2402194; 135.1808833 (志磨神社)
主祭神 中津島姫命
社格 式内社名神大
県社
創建 不詳
札所等 紀三所社
例祭 10月15日
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鳥居

志磨神社(しまじんじゃ)は、和歌山県和歌山市中之島にある神社式内社名神大社)で、旧社格県社

伊達神社(和歌山市園部)、静火神社(和歌山市和田、竈山神社摂社)とともに「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称される[1]

祭神

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祭神は次の2柱[2]

主祭神
  • 中津島姫命(なかつしまひめのみこと) - 別名を市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
配祀神
  • 生国魂神(いくだまのかみ) - 配祀の経緯は不詳[3]

別説として、『紀伊続風土記』では「紀三所社」が伊太祁曽三神(五十猛命・大屋都比売命・都麻都比売命)を分祀するとし、志磨神社祭神を大屋都比売命に推定する[1]。ただし志磨神社は紀の川の川中島に位置することから、立地の観点からは中津島姫命が妥当とされる[4]

また『住吉大社神代記』では、住吉大社摂社の船玉神社が紀氏の神であり「志麻神・静火神・伊達神」の本社であるとしている[4]

歴史

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当社は、元和年間(1615年-1624年)に式内社「志磨神社」に比定され改称したものである[4]。現在は「中之島」の地名が表すように紀の川三角州の島に位置するが、社名「しま」がこの川中島を指すといわれる[4]。比定以前の当社は「九頭明神(国津明神)」を称し、元和当時には島内に当社含め小祠6社があったが、その中でも最も社地に勝れていた九頭明神が選ばれたという[4]

概史

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文献では、古くは『新抄格勅符抄大同元年(806年)牒に神戸として「島神 七戸」の記載がある[1]。神戸の存在は、『和名類聚抄』名草郡の「島神戸」の記載にも見える[1][注 1]。国史では「志摩神」として、いずれも伊達神・静火神とともに承和11年(844年)に正五位下、嘉祥3年(850年)に従四位下、貞観元年(859年)に正四位下、貞観17年(875年)に従三位の神階昇叙の記事が記載されている[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では紀伊国名草郡に「志磨神社 名神大」と記載され名神大社に列しているほか、『紀伊国神名帳』では「正一位 志摩大神」と記載されている[1]

また、志磨神社は伊達神社(和歌山市園部)、静火神社(和歌山市和田)とともに「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称されたとされる[1]。「紀三所社」の記載は、永承3年(1048年)の収納米帳を初めとして、『中右記天仁2年(1109年)条、『梁塵秘抄』四句神歌等に見える[1]。『住吉大社神代記』では紀三所社の由来について、神功皇后三韓征伐に用いた船3艘を武内宿禰に祀らせたことによるとする[1]

以上の文献上の「志磨神社」はその後所在不明となっていたが、元和年間(1615年-1624年)に当時「九頭(国津)明神」と称していた当社に比定された[4]。『紀伊続風土記』によれば、当社は慶長年間(1596年-1615年)以前は社領として田畑5反を有していたが検地に伴い没収、その後紀州徳川家によって再興されたという[1]

明治維新後、昭和17年(1942年)に近代社格制度において県社に昇格している[3]

神階

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  • 六国史における神階奉叙の記録
  • 六国史以後

境内

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境内には応永6年(1399年)の銘を持つ石燈籠が建てられている[1]

摂末社

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  • 天照皇大神宮、弁財天社、蛭子神社
  • 久嶋神社、宇佐八幡神社、八坂神社
  • 国津神社、天満社、琴平神社
  • 稲荷神社、月読神社、医祖神社
  • 焼火神社、猿田彦神社

祭事

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主な祭事は次の通り[5]

  • 星祭り節分祭(2月3日)
  • 夏祭り(宵宮7月14日、本宮7月15日)
  • 子供神輿渡御(7月第2土曜日)
  • 例祭(10月15日)
  • 庭燎神事(12月15日夜)

文化財

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和歌山県指定文化財

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  • 有形文化財
    • 志磨神社本殿(附 棟札26枚、獅子・狛犬1対)(建造物) - 2022年(令和4年)3月18日指定[6]

現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

  • 十五社神社(和歌山市松島) - 十五社神社の社伝では、志磨神社はもとこの地に鎮座したという[7]

脚注

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注釈

  1. ^ 『和名類聚抄』に神戸の記載が見えるのは、紀三所社のうちでも島神のみである (志磨神社(式内社) 1987)。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 志磨神社(平凡社) 1983.
  2. ^ 祭神の表記・読みは、神社由緒書・境内説明板による。
  3. ^ a b 志磨神社(式内社) 1987.
  4. ^ a b c d e f 志磨神社(神々) 1986.
  5. ^ 祭事の記載は志磨神社(和歌山県神社庁)による。
  6. ^ 令和4年3月18日和歌山県報 (PDF) より和歌山県教育委員会告示第1号(リンクは和歌山県ホームページ)。
  7. ^ 十五社神社(和歌山県神社庁)。

参考文献

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  • 神社由緒書、境内説明板
  • 島千尋 著「志磨神社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第23巻 南海道』皇學館大学出版部、1987年。 
  • 「志磨神社」『日本歴史地名大系 31 和歌山県の地名』平凡社、1983年。ISBN 458249031X 
  • 丸山顕徳 著「志磨神社」、谷川健一編 編『日本の神々 -神社と聖地- 6 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』白水社、1986年。ISBN 456002216X 

外部リンク

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  • 志磨神社 - 和歌山県神社庁
  • 志磨神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」