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志紀町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しきまち
志紀町
廃止日 1948年4月1日
廃止理由 分割
志紀町志木町宗岡村内間木村水谷村
現在の自治体 志木市朝霞市富士見市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 20.61 km2.
総人口 14,882
国勢調査、1947年10月1日)
隣接自治体 埼玉県:北足立郡大久保村土合村美笹村大和町朝霞町大和田町
入間郡三芳村鶴瀬村南畑村
志紀町役場
所在地 埼玉県北足立郡志紀町
座標 北緯35度49分24秒 東経139度34分27秒 / 北緯35.82339度 東経139.57417度 / 35.82339; 139.57417座標: 北緯35度49分24秒 東経139度34分27秒 / 北緯35.82339度 東経139.57417度 / 35.82339; 139.57417
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志紀町(しきまち)は埼玉県北足立郡に存在した

1944年2月11日に北足立郡志木町内間木村(荒川左岸を除く)、及び入間郡宗岡村水谷村の合併により成立したが、僅か4年余の後、1948年4月1日に再分裂し、消滅。

2月11日の紀元節の日に成立したため「志木」を「志紀」にしたとされている[1]

歴史

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  • 1944年2月11日 - 戦時町村合併促進法により北足立郡志木町内間木村の荒川西岸、及び入間郡宗岡村水谷村の合併により成立[1][2]。尚、内間木村の荒川東岸(重瀬地区)は同郡美笹村に編入[3]
  • 1948年4月1日 - 再分裂し、消滅。元の1町3村に戻る[1][2]。宗岡村・水谷村を含めこの1町3村は北足立郡の所属。

合併と分裂の経緯

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戦争直前から戦時中にかけて、国家協力に向け力のある市町村を作るという国家方針の下、小規模ながら市町村合併が行われた。このような国家方針の下、この地域でも1町3村の合併が行われた。一方で特に、それまで入間郡に属しており同郡の鶴瀬村南畑村との関係が強かった旧水谷村などで、合併の是非をめぐって紛糾する事態となった。
戦後不安定な状態にあった同町は再分離へと至った。このような例は埼玉県内にも他に美野町(1943 - 46年、皆野町他5村を統合→分裂)、騎西町(1943 - 46年、騎西町他3村を統合→分裂)といったものがある。

脚注

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  1. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』421頁。
  2. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1421頁。
  3. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』139頁。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 

関連項目

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