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志賀健二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しが けんじろう

志賀 健二郎
生誕 1950年
日本の旗 日本 兵庫県
出身校 京都大学文学部史学科
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志賀 健二郎(しが けんじろう、1950年(昭和25年) - )は、日本の著作家。学校法人田中千代学園副理事長。

渋谷ファッション&アート専門学校(前・田中千代ファッションカレッジ)校長。兵庫県出身。

略歴

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1974年京都大学文学部史学科卒業。卒業後、小田急百貨店入社。文化催事(小田急グランドギャラリー)、宣伝、販売促進などを担当。小田急美術館館長(兼務)。

2006年川崎市の公募で採用され、川崎市市民ミュージアム館長に就任。

2011年から2014年まで、川崎市市民ミュージアムアドバイザー。日本映画大学にて、非常勤講師(博物館経営論)として勤務[1]

親族

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俳優志賀廣太郎(2020年死去)は実兄[2]

1987年10月、小田急美術館の前身である小田急グランドギャラリーが『光太郎 智恵子の世界展』(主催読売新聞社)を開催することになり、戦時中、岩手県花巻疎開していた高村光太郎が、敗戦直後に移り住み、戦意高揚の詩を作っていたことへの反省から晩年の7年間独居していた高村山荘の粗末な空間を、会場演出としても効果的であるため、再現することになった[2]。その際、志賀の上司が「これを舞台にして、『智恵子抄』の朗読を誰かにやってもらったら面白い」と言い出し、「誰にやってもらいますか?」と尋ねると、「加藤剛なんかいいな。でも高いだろうな。別にあてはない、探せ」であった。そこで志賀が「ずっと安いギャラで、身内が言うのもなんですが、声の良さは加藤に負けない役者がいますがいかがですか」と応じ、朗読役に起用されたのが兄の志賀廣太郎だった[2]。廣太郎もまだ時間に余裕のあるころだったので、会期中、はぼ毎日来てもらい、朗読を聞いていた客からは、「あの人どこの人?」と興味を持ってもらえるくらいの好評を博したという[2]

著作

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出典

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