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恭雲院

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恭雲院(きょううんいん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。甲斐武田氏の家臣・真田幸綱(幸隆)の正室

生涯

海野棟綱真田氏の譜代の家老であった河原隆正の妹で、海野氏分家の家柄だった真田幸隆に嫁ぎ、真田信綱真田昌輝真田昌幸真田信尹と2人の娘を産んだ[1]。長男の信綱が天文6年(1537年)の生まれ(『信綱寺殿御事跡稿』)のため、幸隆と恭雲院の結婚は天文年間初期と推測される[1]。経歴などは不明[1]

没年には二説ある。真田氏の墓所である長谷寺墓碑には天正20年5月20日1592年6月29日)とあり、同寺の過去帳には文禄2年8月1日1593年8月27日)とあり、1年余の差があるがこの頃に没したものと思われる[1]。戒名は恭雲院喜山理慶大姉[1]

一説に河原氏の娘ではなく、羽尾幸全の娘(『羽尾記』)ともされるが、根拠は弱い[1]

関連作品

脚注

出典
  1. ^ a b c d e f 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.20

参考文献

書籍