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成島勇 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
成島勇
なるしま いさむ
生年月日 1891年5月25日
出生地 日本の旗 日本 千葉県
没年月日 (1956-02-11) 1956年2月11日(64歳没)
出身校 東北帝国大学農学科卒業
前職 農業
所属政党立憲民政党→)
日本進歩党→)
民主党
配偶者 成島憲子
親族 父・成島巍一郎(衆議院議員)

選挙区 (千葉県第1選挙区→)
千葉県全県区
当選回数 3回
在任期間 1937年 - 1947年3月31日



富勢村会議員
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成島 勇(なるしま いさむ、1891年明治24年)5月25日[1] - 1956年昭和31年)2月11日[2])は、日本農家政治家衆議院議員

経歴

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千葉県出身[2]成島巍一郎の三男として生まれ、成島あゑの養子となる[3]1915年東北帝国大学農学科を卒業[2][4]台湾製糖会社に入社し[3]、その後、帰郷して農業を営む[2][4]

富勢村会議員、千葉県会議員、富勢村長、郡農会議員、県販購利用組合特別議員などを務めた[2][4]1937年4月の第20回衆議院議員総選挙立憲民政党所属で千葉県第一区から出馬して当選[2]。その後、第22回総選挙まで連続3回の当選を果たした[2]1947年公職追放となり[5][6]同年の総選挙には妻の憲子が身代わり立候補した。

その他、農地開発営団設立委員、農林省委員、農商務省委員、日本進歩党民情部長、同政務調査会長、同総務委員会副会長、朝日乳業 (株) 取締役などを歴任した[2][4]

著書

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  • 『努力は実る』農村経済調査局、1941年。

親族

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、11頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』472頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第13版 下、ナ171頁。
  4. ^ a b c d 『千葉大百科事典』709-710頁。
  5. ^ 『朝日新聞』1947年10月8日一面。
  6. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛富勢村」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、428頁。NDLJP:1276156 
  7. ^ 『千葉大百科事典』710頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『千葉大百科事典』千葉日報社、1982年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 下、1941年。