測天型敷設特務艇
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(戸島型敷設特務艇から転送)
測天型敷設特務艇 | |
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艦型概観 | |
艦種 | 敷設艇、敷設特務艇 |
艦名 | |
前型 | 夏島 [I] |
次型 | |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:405t |
全長 | (垂線間長:45.70m) |
全幅 | 7.60m |
吃水 | 2.30m |
主缶 | 艦本式ロ号缶1基[1] |
主機 | 直立三段膨張x2 600hp |
速力 | 12.0kt |
航続距離 | 不明(石炭:60t) |
乗員 | 40名 |
兵装 | 口径 8cm単装砲1門or2門 四号機雷120個 (後に五号機雷82個、爆雷18個に変更) |
測天型敷設特務艇 (そくてんがたふせつとくむてい)は、日本海軍の特務艇(敷設艇、敷設特務艇)の艇級。法令上の艇型名は持たないが、竣工第1艇の艇名から測天型敷設艇、測天型敷設特務艇と称される[2]。
概要
[編集]1913年から1921年にかけて就役。当初は雑役船(「マインボート[3]」もしくは「大型敷設艇[4]」)に分類されていたが、1920年4月1日に二等敷設艇、1931年5月30日に敷設艇に、さらに1944年2月1日には敷設特務艇に変更された。
当初の艇名は鷲埼を除き「何々丸」であったが、1920年7月1日[5]に艇名が「第何」や「丸」の無いものに変更された。
太平洋戦争には測天を除く11隻が参加。内地に近い要港警備を主任務としたため多くが残存した。ただし、一部の艇はシンガポールなどの前線へと進出した。戦後は復員輸送や掃海に従事した後に賠償艦として引渡され、あるいは解体された。うち「加徳」は名前を改め、1970年まで民間客船として活躍した。
同型艇
[編集]各艇の共通事項は以下のとおり。なお、艇の記述順は法令(特務艇類別等級表[7][8][9]、および特務艇類別等級別表[10])に従う。
- 1920年6月30日までに竣工したものは、全てが雑役船。
- 1920年7月1日、在役全船が改名[5]のうえ特務艇中の二等敷設艇に類別される[7]。その後竣工した艇も二等敷設艇に類別。
- 1933年5月23日、敷設艇の等級が廃止され、在役全艇が敷設艇に類別される[9]。
- 1944年2月1日、在役全艇が敷設特務艇に類別される[10]。
- 江之島[11](えのしま)
- 1919年3月31日竣工(舞鶴)- 馬公で終戦。その後の消息不明。1946年4月30日除籍。
- 黒神(くろかみ)
- 1917年5月1日竣工(呉)- 佐伯で終戦。1945年10月5日除籍。戦後掃海に従事。1947年11月14日英国へ引き渡し、飯野ドックへ売却。1948年1月6日舞鶴で解体開始。同年3月3日解体完了。
- 黒島(くろしま)
- 1915年5月25日竣工(舞鶴)- 下関で終戦。1945年10月5日除籍。復員輸送終了後の1947年10月3日中国に引渡し、中華民国海軍艦として1960年に退役。
- 片島(かたしま)
- 1917年5月19日竣工(舞鶴)- 佐伯で終戦。1945年10月5日除籍。戦後掃海に従事。1947年10月3日ソ連に引渡した後、さらに1956年にソ連から中華人民共和国海軍へ引渡。退役年不明。
- 戸島(としま)
- 1915年3月20日竣工(舞鶴)- 1945年7月30日舞鶴にて航空機の攻撃により沈没。1945年11月30日除籍。
- 測天(初代)(そくてん)
- 1913年7月4日竣工(舞鶴) - 1936年8月29日除籍。
- 葦埼(あしざき)
- 1916年5月12日竣工(舞鶴)- 大泊で終戦。1945年10月5日除籍。1945年11月17日復員輸送中に新潟早川にて座礁。
- 黒埼(くろさき)
- 1921年12月24日竣工(内田造船鉄工所)- 大湊で終戦?1945年11月15日掃海に従事中八戸にて座礁。1945年11月30日除籍。
- 加徳(かとく)
- 1916年4月4日竣工(舞鶴)- 大牟田で終戦。1945年10月5日除籍。復員輸送終了後の1947年に米国へ引き渡されたが、返還され1948年3月22日に運輸省海運局に、5月1日に海上保安庁に編入された。海上保安庁では小型巡視船「加徳(PS29)」になり、瀬戸内海で警備救難兼設標業務に従事した。1952年4月16日に解役[12]後、5月に老齢廃船も民間へ売却されエンジンをディーゼルに交換、上構も全て変え客室などを設置、1953年5月に瀬戸内海汽船の客船「つるみ」となる。総トン数440トン、速力11ノット、乗客370名。1970年まで別府-呉間に就航した。
- 圓島(えんとう)
- 1917年5月16日竣工(舞鶴)- 1945年1月15日航空機により台湾枋寮にて擱座。浮揚のうえ高雄回航も終戦。その後不明。1946年4月30日除籍。
- 似島(にのしま)
- 1920年10月15日竣工(呉)- 馬公で終戦[13]。1945年11月30日除籍。
- 鷲埼(わしざき)
- 1921年9月30日竣工(横浜鉄工所)- 竣工時艇名は第四十五敷設艇[14]、1926年11月6日、鷲埼と改名[15]、舞鶴で終戦。1945年11月30日除籍。掃海業務。1947年11月24日英国へ引渡し、佐世保で解体。
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ、光人社、1990年
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年、ISBN 4-905551-55-2
- 福井静夫『日本補助艦艇物語』光人社、1993年
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年
脚注
[編集]- ^ 江之島、黒埼のボイラーは池田式缶1基
- ^ 1944年2月1日に特務艇中の敷設艇から特務艇中の敷設特務艇に類別変更される前に1番艇測天は除籍済みだったため、2番目に竣工した艇の艇名をとって戸島型敷設特務艇とも呼ばれるほか、1911年6月竣工の二等敷設艇(のち練習船)「夏島」を加えて、本型を「夏島型敷設特務艇」とする場合もある。
- ^ 明治42年3月25日付 達第52号。
- ^ a b 大正3年2月3日付 達第10号。
- ^ a b 大正9年7月1日付 達第115号ノ2。
- ^ 明治45年4月16日付 達第48号。
- ^ a b 大正9年7月1日付 内令第214号。
- ^ 大正15年3月31日付 内令第62号。
- ^ a b 昭和8年5月23日付 内令第190号。
- ^ a b 昭和19年2月1日付 内令第272号。
- ^ 大正6年9月12日付 達第108号。江乃島ではない。
- ^ 「海上保安庁全船艇史」 『世界の艦船』第613集(2003年7月増刊号) 海人社 P.26
- ^ 世界の艦船 『日本海軍護衛艦艇史』、p. 108。
- ^ 大正10年5月31日付 達第105号。
- ^ 大正15年11月6日付 達第110号。