戸田氏信
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戸田 氏信(とだ うじのぶ、慶長4年11月17日(1600年1月3日) - 天和元年11月14日(1681年12月23日))は、江戸時代前期の大名。美濃大垣藩の第2代藩主。大垣藩戸田家3代。
大垣藩初代藩主・戸田氏鉄の長男。母は松平康長の娘。正室は牧野忠成の娘・千代。子に戸田氏西(長男)、戸田信言(次男)、戸田氏春(三男)、戸田氏利(四男)、戸田氏広(五男)、戸田信等(六男)、戸田氏方(七男)、娘(遠藤常友正室)、娘(板倉重常正室)、娘(高木貞長室)。官位は従四位下、采女正。
慶長4年(1599年)11月17日生まれ。幼名は新二郎。慶安4年(1651年)11月、父・氏鉄が隠居したため家督を継いだ。明暦元年(1655年)、氏鉄の遺言に従って弟の戸田氏経に4000石、四男の氏利に5000石をそれぞれ分与した。その後、幕命により二条城の石垣普請などで功を挙げた。また、父同様に藩政にも尽力し、藩政を安定化させた。
寛文11年(1671年)、家督を長男の氏西に譲って隠居した。寛文12年(1672年)、牧野家菩提寺の大恩寺(愛知県豊川市御津町)に山門を建立した[1]。 天和元年(1681年)11月14日に83歳という長寿をもって大垣にて死去した。法号は天誉逸閑興林院。