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手代木茂篤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
手代木茂篤
てしろぎ しげあつ
生年月日 1855年
出生地 日本の旗 日本 陸奥国仙台藩領亘理支藩
(現・宮城県亘理郡亘理町
没年月日 1928年1月6日
前職 有珠郡各村戸長役場用係
親族 甥・手代木隆吉(衆議院議員)

在任期間 1910年7月 - 1913年12月

在任期間 1908年6月 - 1910年7月

在任期間 1904年5月16日 - 1908年5月11日

在任期間 1902年4月 - 1904年2月29日
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手代木 茂篤(てしろぎ しげあつ、1855年 - 1928年1月6日)は、日本の地方政治家。明治時代の北海道胆振地方で行政首長を務めた。

来歴

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仙台藩領亘理支藩(現・宮城県亘理郡亘理町)出身。幼名は虎一郎だった。亘理伊達家の北海道移住に伴い、1871年(明治4年)15歳で渡道する[1][2]。開拓に従事しながら1885年(明治18年)7月に有珠郡各村戸長役場用係に雇用される。[3]

有珠郡各村、苫小牧外六か村、虻田、礼文、弁辺などで戸長を務め、虻田村、伊達村、苫小牧村恵庭村の村長を歴任した。

甥に衆議院議員手代木隆吉、孫に俳人手代木茂守がいる。

記録の残る戸長及び村長在任期間

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  • 苫小牧他六ヵ村戸長
1897年1月 - 1901年[4]
  • 虻田戸長 
1901年11月 - 1902年3月31日[5]
  • 虻田村長(初代)
1902年4月~1904年2月29日[6]
  • 伊達村長(4代)
1904年5月16日 - 1908年5月11日[7]
  • 苫小牧村長(5代)
1908年6月 - 1910年7月[8]
  • 恵庭村長(2代)
1910年7月 - 1913年12月[9]

代表的な施政

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1897年(明治30年)6月 - 苫小牧村より厚真村の分村[10] 1900年(明治33年)6月 - 苫小牧村より安平村の分村[11] 1903年(明治36年)4月 - 有珠第二小学校、関内尋常小学校分教場を開設 1907年(明治40年)東紋鼈尋常小学校を開設

脚注

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  1. ^ 『手代木家家譜』編集発行手代木かよ、非売品、18頁、1987年6月発行。[要文献特定詳細情報]
  2. ^ 伊達開拓移住人調、だて歴史文化ミュージアム蔵、開拓移住資料[要文献特定詳細情報]
  3. ^ 『新稿伊達町史』上巻、編集渡辺茂、発行三一書房、479~480頁
  4. ^ 『苫小牧市史』上巻、編集発行苫小牧市、監修高倉新一郎、808頁[要文献特定詳細情報]
  5. ^ 『物語虻田町史第一巻行政・資料編』編集虻田町史編集委員会、発行北海道虻田町、595~596頁
  6. ^ 『物語虻田町史第一巻行政・資料編』編集虻田町史編集委員会、発行北海道虻田町、185頁[要文献特定詳細情報]
  7. ^ 『新稿伊達町史』上巻、編集渡辺茂、発行三一書房、505頁[要文献特定詳細情報]
  8. ^ 『苫小牧市史』上巻、編集発行苫小牧市、監修高倉信一郎、842頁[要文献特定詳細情報]
  9. ^ 『恵庭市史』編集渡辺茂、発行恵庭市長浜垣実、369頁[要文献特定詳細情報]
  10. ^ 『苫小牧市史』年表、33頁[要文献特定詳細情報]
  11. ^ 『苫小牧市史』上巻[要文献特定詳細情報]