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手児奈霊神堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
手児奈霊神堂
所在地 千葉県市川市真間4-5-21
位置 北緯35度44分18.1秒 東経139度54分33.3秒 / 北緯35.738361度 東経139.909250度 / 35.738361; 139.909250座標: 北緯35度44分18.1秒 東経139度54分33.3秒 / 北緯35.738361度 東経139.909250度 / 35.738361; 139.909250
宗旨 日蓮宗
創建年 737年
別称 手児奈霊堂
公式サイト 手児奈霊堂公式サイト
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広重「名所江戸百景」より「真間の紅葉手古那の社つぎ橋[1]
1912(明治45)年頃の手児奈霊神堂

手児奈霊神堂(てこなれいじんどう)は、千葉県市川市真間に所在する、伝説上の女性手児奈を祀る霊堂である。手児奈霊堂とも称される。

縁起

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太古の昔[2]、真間の井(亀井院)に水を汲みに行く一人の女性がいた。名前は手児奈。身なりはそまつだったが、とても美しいと評された。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。これを悲しんだ人たちは、手児奈霊神堂を建てて祀った。

文化財

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所在地

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  • 千葉県市川市真間4-5-21

和歌

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  • 古に 在りけむ人の しつはたの 帯解き交へて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘らえなくに (万葉集 巻の四・431) 山部赤人
  • 葛飾の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ  手児奈し思ほふ(万葉集 巻の九・1808)高橋虫麻呂
    • {訳}葛飾の真間の井を見れば、水を汲む手児奈を思い出す。

脚注

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  1. ^ 「真間の紅葉の名所・弘法寺から、手古那の社と継橋を望む」の意。継橋(つぎはし)は『万葉集』にも歌われる「真間の継橋」のことで、霊神堂南西方に現存する。なお、この構図は南を望んでいるはずなので、実際には遠方に山(筑波山?)は見えない。
  2. ^ 万葉集 巻の九 挽歌・1807に「鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけることと 今までに ……」とある。

関連項目

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外部リンク

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