手塚義治
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てづか よしはる 手塚 義治 | |
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生年月日 | 1958年 |
出生地 | 日本 東京都 |
職業 | 撮影技師、照明技師 |
ジャンル | 映画 |
手塚 義治(てづか よしはる、1958年 - )は、日本の社会学者、撮影技師、照明技師である。専攻はメディア理論、カルチュラル・スタディーズ。「テヅカ ヨシハル」と表記されることもある。
経歴
[編集]東京都生まれ。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジメディア・コミュニケーション学博士号取得。現在、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部准教授。
日本のインディーズ映画創成期に『爆裂都市 BURST CITY』(1982)等の撮影・照明技師として活動した後、イギリスに移住。英国国立映画TV学校(NFTS)を卒業後、日英でテレビドキュメンタリー作品を手がける。『家族写真』(1989)は米国サンダンス映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭などで上映され、数々の賞を受賞した。英国の映像プロダクション、キメラ・フィルムスの代表取締役として、日本向けテレビコマーシャルを数多く欧州各地で制作した後、メディア文化研究者に転身した。
著書
[編集]- Cultural Studies and Cultural Industry in North east Asia(2009、Hong Kong University Press、共著)
- 映像のコスモポリティクスーグローバル化と日本、そして映画産業(2011年、せりか書房)
フィルモグラフィー
[編集]映画
[編集]- 狂い咲きサンダーロード(1980年) - 照明
- アナザ・サイド(1980年) - 照明
- 爆裂都市 BURST CITY(1982年) - 照明
- 九月の冗談クラブバンド(1982年) - 撮影
- パン屋襲撃(1982年) - 撮影
- 追悼のざわめき(1988年) - 撮影