手島俊甫
表示
手島 俊甫(てしま しゅんすけ、1845年12月13日(弘化2年11月15日) - 1904年(明治37年)11月26日)は、日本の政治家。鳥取県西伯郡境町長(初代)[1]。境町会議員。族籍は鳥取県平民[2]。
人物
[編集]1890年1月、境町長就任[3]。1891年6月、米子区裁判所境出張所開庁[3]。1892年6月、尋常小学校新築落成式を挙行[3]。1893年12月、境町長を退職[4]。1897年9月から1901年9月まで境町収入役をつとめる。
手島と小泉憲貞は境町に於いて新聞紙購読者の嚆矢である[2]。手島は小泉憲貞と謀り広く同志を募って新聞縦覧所を設置する[2]。住所は境町末広町1丁目[2](現・境港市)。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小泉憲貞編『稀有山陰港輝』小泉憲貞、1905年。
- 柴田文次郎『境港誌』村尾日進堂、1914年。
- 小泉憲貞編『境港沿革史』小泉憲貞、1915年。
- 日本自治協会編『市町村治績録』日本自治協会、1929年。